もりおおせたなら、もう、おまえのからだから、危険《きけん》なことは消《き》えさってしまう。おまえはもう、おそろしいまぼろしを、見ないようになるのじゃ。」
と、ねんごろにいってきかせました。
五
法一《ほういち》は、いいつけられたとおりに、えんがわにすわっていました。と、いつもの時刻《じこく》がきて、いつもの武士が、裏門《うらもん》からはいって来ました。
「法一。」
しかし、法一は息《いき》を殺《ころ》していました。
「法一。」
二どめの声は、おどすように聞えました。が、法師はかたく口をむすんでいました。
「法一。……こりゃへんじがないぞ。いないのか。」
と、武士は、えんがわへよって来ました。
「おや、ここにびわだけある。が、法一はいない。へんじのないのもむりはない。が、耳だけがあるぞ。使《つか》いに来たしょうこに、これを持っていこう。」
こう武士《ぶし》はつぶやくと、法師のりょう耳は、いきなり鉄棒《てつぼう》のような指先《ゆびさき》で、ひきちぎられました。けれど法師は、声もだせませんでした。
武士は、それでいってしまいました。
夜がふけて、お坊《ぼう》さんは帰って来ました。そして法師が、りょう耳から流れでる血の中にすわっているのを見つけました。
しかし法師は身動きひとつせず、きちんとすわっています。お坊さんは、びっくりしながら、
「法一、このありさまはどうしたのじゃ?」
と、さけびました。法師《ほうし》はそこで、はじめてわれにかえり、今夜のできごとを話しました。
「ああ、そうじゃったか。いや、それはわしの手落《てお》ちじゃった。おまえの耳ばかりへは、経文《きょうもん》を書くのを忘《わす》れたのじゃ。これはあいすまぬ。が、できたことはしかたがない。このうえは、早く傷《きず》をなおすことじゃ。それだけのさいなんで、命《いのち》びろいをしたと思えば、あきらめがつく。もう、これでおまえのからだから、悪霊《あくりょう》がきえさったのじゃから、安心《あんしん》するがよい。」
お坊《ぼう》さんは、そういいました。
それから、この法師《ほうし》には、「耳《みみ》なし法一《ほういち》」というあだ名がつき、びわの名手《めいしゅ》として、ますます名声《めいせい》が高くなりました。[#地付き](昭2・6)
底本:「赤い鳥代表作集 2」小峰書店
1958(昭和33)年11月15日第1刷
1982(昭和57)年2月15日第21刷
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1927(昭和2)年6月号
入力:林 幸雄
校正:川山隆
2008年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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