ました。寺男は、そのように早く歩く法師を、ふしぎにも気味悪くも思いました。
寺男は法師がたちよりそうな家を、一けん一けんさがしまわりました。が、どこにもいませんでした。寺男はこまって、ひとり、ぼつぼつ浜辺《はまべ》づたいに寺の方へ帰ってきました。と、おどろいたことには、狂《くる》ったようにかき鳴《な》らすびわの音が、どこからか聞えてくるではありませんか。しかも、そのびわの音は、まちがいなく法師のひくものでありました。
寺男は、ただ意外《いがい》に思いながら、音のするほうへ近づいていきました。いったところは平家《へいけ》一|門《もん》の墓場《はかば》でありました。いつか雨は降《ふ》りだしていました。一寸先《いっすんさき》見えぬ闇夜《やみよ》、寺男は、両足《りょうあし》が、がくがくふるえましたが、勇気《ゆうき》をつけて、びわの音《ね》のする墓場《はかば》の中へはいっていきました。そして、ちょうちんの灯《ひ》をたよりに、法師をさがしました。するとこれはまた意外《いがい》のことに、法師がただひとり、安徳天皇《あんとくてんのう》のみささぎの前にたん座《ざ》して、われを忘れたように、一心《いっしん》ふらんに、びわ[#「びわ」に傍点]を弾《だん》じ、壇《だん》ノ浦《うら》合戦《かっせん》の曲《きょく》を吟《ぎん》じているのでありました。そうして、法師の左右《さゆう》には、数《かず》しれぬ青《あお》い灯《ひ》、鬼火《おにび》がめらめらと、もえていたのでありました。寺男は、こんなに多いさかんな鬼火を、生まれてはじめて見るのでありました。寺男は一時は声もでないほどにおどろきましたが、やっと、心をおちつけて、
「法一さん、法一さん、あなたは、なにかにばかされていますよ。しっかりしなさい。」
と、耳もとでいいました。
しかし、法師は、寺男のことばをききいれるどころか、ますます一心《いっしん》に、ますます高らかな声で、吟《ぎん》じつづけています。
「法一さん、法一さん、どうなされたんです。こんなところで、なんのまねをしているんです?」
すると、法師は怒《おこ》ったように寺男《てらおとこ》を制《せい》して、
「しずかになさい。だまっていてくれ。高貴《こうき》な方々《かたがた》の前だ、ご無礼《ぶれい》にあたるぞ。」
寺男は、これには、あっけにとられるばかりでした。もう、しようがないので、寺男は力ずくで法師をひきたて、その手をしっかりにぎって、むりやりに、寺へひっぱってきました。
寺の坊《ぼう》さんは、びしょぬれになっている法師の着物をきかえさせ、あたたかいものを食《た》べさせて、できるだけ心をおちつかせました。なにかに心をうばわれたようになっていた法師は、そこでようやくわれにかえりました。そして、お坊さんや寺男が、じぶんのために、どんなに心配《しんぱい》をし、骨《ほね》をおったかをしり、たいへんすまないように思い、そこで、なにもかも、お坊さんにうちあけてしまいました。
お坊さんはそれをきくと、
「法一さん、それは、おまえのふしぎなほどに、たくみなびわ[#「びわ」に傍点]の腕《うで》まえが、おまえをそういうところへみちびいたのじゃ。芸《げい》ごとの奥《おく》に達《たっ》すると、そういうことがあるもので、これはおまえの芸道《げいどう》のためには、よろこばしいことじゃが、しかし、あぶないところじゃった。昨夜《ゆうべ》、おまえは平家《へいけ》の墓場《はかば》の前で、雨にぬれて、すわっていたそうじゃ。おまえは、なにかまぼろしを見て、そうしていたのじゃろうが、いつまでも、そうしていたら、平家の亡者《もうじゃ》の中へひきこまれ、ついには八《や》つざきにされてしまうところじゃった。もう、どこへもいってはならぬぞ。わしは、今夜《こんや》も法事《ほうじ》で、るすをするが、おまえが使《つか》いのものに、つれていかれないように、今夜は、おまえのからだを、よくまもっておかねばならぬわい。」
そこで、法師をはだかにして、ありがたい、はんにゃしんきょうの経文《きょうもん》を、頭《あたま》から胸《むね》、胴《どう》から背《せ》、手《て》から足《あし》、はては、足《あし》のうらまで一|面《めん》に墨《すみ》くろぐろと書《か》きつけました。そしてまた、着物をきせて、お坊《ぼう》さんは、
「わしは、まもなくでかけるが、おまえはいつものえんがわにすわっていなされ。やがて、れいの武士《ぶし》が来て、おまえの名をよぶだろうが、おまえは、どんなことがあっても、だんじて返事《へんじ》をしてはならぬ。万一《まんいち》返事をしたなら、おまえのからだは、ひきさかれてしまうのだ。また人のたすけをよんでもならぬぞ。だれもたすけることはできぬのだからな。そうして、おまえがりっぱに、わしのいいつけをま
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