このことは彼の決心に明るい光りを与えた。既に装飾部員が仕事をしている以上、「三枚の扉」の杞憂《きゆう》は抹殺していい。
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暗い冷めたい下水道
濡れて育ったアパッシュは………
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又誰かが唱っている。彼は憂鬱な唱い手の咽喉に好感を持てた。彼は扉を押した。外に何かつかえるものがある。間隙七八寸で止まった。やや力を加えて見る。それほど力を要しないでも扉は動く様子だ。彼は押した………突然歌声は途切れて、その代りに狂おしげな叫声が伝わった………実にその刹那、扉一枚隔てた外側では、戦慄に値いする惨事が突発したのである!
3
都市美術社の若い装飾工の一人は、五階の欄干《てすり》に足を一本からげ、他の一本は小天使《エンゼル》の彫像の肩に載せて、猿の身軽さを保ち、彼に分担された仕事をやっていた。
彼の脚下垂直六十呎、視線は一階中央大広間の寄木板《モザイック》張りの床に衝突する。今夜の装飾工事の中心を成すものは、その広間に築き上げられる大装飾塔だ。工事は進行しつつある! 指揮者は装飾部主任MT氏。装飾工が蟻のように群がっている。
然し五階で仕事をしているのは彼の外に二人の仲間だけだ。その二人は五階の向う側をやっている。彼の咽喉が俗謡を唱う。「巴里アパッシュの唄」が、百貨店装飾工の仕事行進曲になっても別に差支えはない筈だ。
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暗い冷めたい下水道
濡れて育ったアパッシュは………
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彼は仕事の手を止めた。
「はてな? 俺の気のせいかな?………確かにあの扉が動いたように思ったがね」生憎と扉の周囲は照明不足だった「だが、そんな筈はないだろう。今頃あの中に人が居るなんて!………ブルルッ! 万引女の幽霊かな。何しろむやみと扉を動かされちゃあ困るね。立てかけといた丸太がブッ倒れらア」
扉の方を気にし乍ら――
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光りを閉ざす地の底の
闇に生れたならず者………
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「あッ、いけないや!………誰かあすこに居るんだ!」
彼は口に出して叫ぶ。装飾材料の二本杉丸太が扉の前に立てかけてある。扉が押されれば倒れようとする位置にある。二本共に斜めに倒れる方向は正しく彼の方を指示している!………
「ちょ、ちょっと待てっ!………待ってくれ!……あっ!」
間
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