扉は語らず
(又は二直線の延長に就て)
小舟勝二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)抱《いだ》いた
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)当夜|此《こ》の
[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
(例)[#ここから3字下げ]
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1
「事件は今から六年前、九月三十日、午後八時から九時までの間に、いわゆる東京六大百貨店の一、S百貨店に突発した、小いさな出来事だ。大百貨店に於ける一装飾工の惨死! このことに興味を抱《いだ》いた君が、これからS百貨店へ行って、六年以上勤続の店員に訊ねることは無駄だ。恐らく、誰もそんな事件に就いては初耳だ、と答えるだろうから――
然し、当夜|此《こ》の惨事に立会ったものは、店内関係者としては装飾部主任とその部下、宿直主任とその部下、警備係員若干、すべてで二十人はいるのだがね。彼らは相互に警戒して口を緘《かん》し、吹聴《ふいちょう》本能の禁欲につとめた。実に彼らこそ訓練の行届いた模範的な百貨店員と云うべきだ!
ところが、此処《ここ》にわらうべき一事がある。彼ら二十余名の模範店員たちの知っていることは、何の価値も無いということだ。それらは単に事件の外観、概要、表面に過ぎないんだ。真相は彼らの外《そと》にある。如何《いか》にして此の事件が起り、如何にして彼らの知らない結末に終ったか? たった二人だけがそれを語る資格がある。一人はあの晩即死してしまった装飾工で、一人はかく云う僕なんだ………」
と、最近ふとしたことで私と知り合いになった男――前S百貨店洋家具仕入部員と自称する男――が話し始めた。同一平面上にある二つの直線は、之を充分に延長させれば必らず相交わるか平行するかの二例を生じる。後の例は吾々をすくなからず憂鬱にさせ、前の例は吾々に歓喜を与えるが、時には激しい恐怖をもたらす。この一篇の殺人物語は、二つの直線の盲目的な行進に就いて、恐怖を起させる場合であるらしい。
2
彼は闇の中で瞬《また》たきをした。睡魔―敢えて此の場合「睡魔」と云う―が彼を見捨てようとして、足で彼の肩を蹴ったのだ。
「あっ……こいつはひどいぞ!」
彼は、カラをつけ、襟飾《ネクタイ》を結び、背広を着たままで、地上六十|呎《フィート》、寂寞とした無人の大ビルディングの一角
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