若し応じて選に当つたとしたら其当時では尤も新様の江戸褄となつたであらう、洋風の写生をそのまま図案化したものであつたから。其後数年にして、同じ店の江戸褄の募集の選に当つた作品のうちに、ポプラの樹を前景としてその梢を鳥の翔り過ぐるといふやうなのもあつた。わたくしのかつて企てたやうな方角の図案であつた。
この九月の或る日曜日に、その「夏」の部を本の表紙にあふやうに画いたのであるが、板下として手際好く為上げるのには中々骨が折れた。若し印刷がうまく行つたらこれは見よい装釘ともならう。本の題はまだきまつて居なかつたやうであるから、それとこの図案との附《つき》が好く行くかどうかは知らぬ。杏奴女史の先君の為めには、同じ大正二年に、其翻訳にかかる「フアウスト」の為めに装幀の図案をした。Buchschmuck von Masao Ota とわざわざ銘記せられた。思へばわたくしの本の装釘に係はつたのも古い時からである。
多分同じ頃であつたらう。杏奴夫人の先君はわたくしに嘱するに、令息類君の為めに鍾馗の絵を作ることを以てした。わたくしは小石川田町の何とかと云つた呉服屋から大幅の金巾《かなきん》の布《きれ》
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