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行人二三下手より登場。
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菊枝 まをし、まをし、そこな方々よ。今此処に恐しい事が起り候よ。
第一の人 何ぢや、恐ろしい事とは。
菊枝 あの、南蛮寺が人を拉うておぢやつたのぢや。
第二の人 何。南蛮寺が人を拉つておぢやつたと言やるか。やれ、夫《それ》は真《まこと》か。誓文《せいもん》か。
菊枝 何で妾がこの年齢《とし》して、益《やく》ない嘘をつきませうや。
第一の人 して何処《いづく》の誰が拉はれたのぢや。
菊枝 妾の知辺《しるべ》ぢや。お千代|母子《おやこ》がさらはれておぢやつたのぢや。
第二の人 やあれ、やあれ、恐ろしい事ぢや。むかしまつかう[#「むかしまつかう」に傍点]南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
第一の人 あれ見よ。最早《もはや》空に星が出そめたさうな。
第二の人 急ぎまゐらうよ。(行人行きすぎむとす)
菊枝 まをし、まをし、方々よ。今妾の連《つれ》が来るほどに、いま少時《しばらく》此処に止まり候へ。妾一人にては物おそろしや。こはや。
行人等 我等も急ぎの用事がおぢやるわ。
菊枝 さても無情《つれな》の人々候ぞや。
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行人なほも行き去らむとす。忽《たちま》ち下手の方賑はしき唄の声(楽屋にて囃《はやし》)。若きうかれ男、舞妓白萩。つづきて屋号を染めたる提灯を持つ男。燈《ひ》はいまだ点《とぼ》されず。登場。
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うかれ男 (扇子もて膝をうち拍子とりとり、唄。)
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鐘さへ鳴れば 去《い》なうとおしやる。ここは仏法東漸の源、初夜後夜の鐘は いつも鳴る。
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ははははは。(白萩に)何とて人立《ひとだち》がすることぢや。
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白萩 さればいの、私《わたし》も案じて居たのぢやわいの。
提灯を持ちたる男 (私《ひそ》かに)此処は南蛮寺ぢや。
うかれ男 何ぢや。南蛮寺ぢや。へへ、ははははは。
提灯を持ちたる男 笑ひ事では御座りませぬぞよ、早う参りませう。
うかれ男 南蛮寺なりや恐いことはおりない。
白萩 あの晩《くれ》の鐘は、寺の深い井《ゐ》の底から湧いてくるといふは真かいなあ。
うかれ
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