自分は亦此処にも日本らしいからぬメロデイを聞いておやおやと思つたのある。若し自分が威尼西亜《エネチア》のカナアルの縁をでも歩いてゐるのなら、そこに恁んな節を聞かうとも、乃至はアリオストオ、タツソオ等が古き朗詠《スタチヴオ》を聞かうとも、此時のやうな不可思議な感じは抱かなかつたらう。併し自分は今東京を歩るいて居るのだ。河岸縁には鍋焼饂飩がぱたぱたやつてるではないか。煉瓦の壁の側の瓦斯灯には松葉の輪に「歌沢」とちやんと書いてあるではないか。こんな「髪結新三」的情調へあんなべらぼうなバツタアフライ、ホワイトリボンが這入つて来てたまるものか。然し、事実は、嘘のやうだが、事実だから仕方が無い。恁ういふ風にいふと、全く誇張した修辞法と思ふかも知れないが、知の外の、感情の上には確かに不思議だ。
 それから……自分はぶらぶらと京橋まで歩いて来た。「金沢」といふ寄席の隣の、何とかいふ小さいしる粉屋でしる粉をのんで、その家を立ち出でると、三味線の音は手に取るやうに聞えて居た。
 外は、夜が寒い。月は見えなくなつて暗かつた。唯金沢の二階は、ばつと明るく、灯の光が一面の障子を照らして居た。そこから三味線
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