間、三時間の漫歩の間に官能の雑り織る音楽を味ふ事が出来る。――
自分は今心が惑ふ。九月の朝の日比谷公園の印象を語らうか。或はそこの八月の夜を描き出さうか。或は更に興味ある秋の夜の銀座裏町の生活を語らうか。それとも春雨頃の、沈んだ三味線の音のやうに淡く寂しい深川の河岸の情緒を語らうか。
嘗つて自分が永井氏の「深川の唄」を読んだ時、このさとの哀れ深い生活が氏の豊麗な才筆に取り入れらるるといふ事を如何に喜ばしくも亦妬ましくも感じたつたらう。かの同盟罷工の一揆のやうに獰《あら》くむくつけき文明の侵略軍の、その尖兵にもたとへつ可き電車さへも、この里には、高橋より奥には寄せて来なんだ。だからあの不動様にも、昔のままに奇しい蝋燭の火が点つてゐる。ここの娘たちは冬にも足袋をはかぬ。まだ広い黒繻子の襟をかけて居る。濃い紫の半襟をかけてゐる。赤い手がらをかけてゐる。昔の芝居によく出たやうな深川の質屋も、材木屋も、石材問屋も、醤油屋の低く長い蔵の壁も昔のままに沈黙してゐる。さうして考へて居る。悲しんで居る。縁日にはまだ覗き機関《からくり》が哀れな節を歌つてゐる。阿呆陀羅経が人を笑はしてゐる。――
ある午後、自分は云ひ難き憂愁に襲はれて、独り寂しく深川の小溝の縁に立つた。不動様の裏手に当つて居る所であつた。
春の日の午後三時は油の如く静かであつた。細い雨もしばし途切れて、空の一部には雲の色が黄色になつた。向ふ岸の家の軒には、一面の材木、中にも新しい檜はかの甘い匂ひを春の重い空気のうちへ流すかの如く見えた。黙つて水の面を眺め乍ら、自分は向ふ岸の新しい二階から漏れる長唄の三味線の音を聴き澄んだ。単調な絃のリズムが流れまた淀む。子供にでも教へて居るのかしらん、時々同じ節を繰り返す。蒸すやうに温い――また柔かな頸に圧されるやうに重い春の午後の空気のうちに、自分は夢みるやうに、一種の軽い疲労を感じながら、耳に来る節々に少さき時への聯想、まだ残つてゐる昔の空想を一々結びつけてゐた。
忽ち自分の後ろから女の人が来た。(こゝはまた渡し場であつた。)黒い襟に、赤つぽい唐桟の袢纏を着た若い女が渡し場の桟橋の端に立つた。女は軽く両手を挙げる。さうして人を招くやうな手付きをして、かの三味線の方角に呼びかけた。
「ちよいと、ちよいと、もし。」
女は宛もない人を呼ぶ。
「ちよいと、ちよいと、あのね、敷
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