oてゐるので見られないのは遺憾であつた。それから「松の落葉」といふのも元祿の小唄を集めたのではなくて、例《いつ》もの藤井何とかいふ人の隨筆集であつた。
後に無理に陳列室の内へ入れて貰つたら、手に觸るる事の出來ない玻璃の陳列棚の中に「浪華歳時鏡」「新板豐年拔參宮」「道頓堀出がはり姿なにはのみそ(?)いせのおしろい」「新町根里毛農姿番組」「なにはぶり」「浪華青樓志」「大阪新町細見圖」「淀川兩岸勝景圖會」「畫本四季の友」といふやうな風俗畫の畫本が並べられてあつた。かかる種類の本は、安永天明から天保の頃にかけて江戸には汗牛充棟も啻《ただ》ならざる程あるが、京阪には比較的少いやうである。元祿時分のは多少あるかも知れぬ。
この暗い部屋の中で偶然上方の粹といふ言葉と江戸の意氣といふ言葉とに考へ付いて、前者が心理的なるに對して後者の著しく外形的(形態的)であると云ふ事に氣がついた。西鶴、近松の類と洒落本、草雙紙の類と比較して兩都のそのかみの文明を推論したならば面白い事だらう。(四月二日夜神戸行電車中。)
昨日の午飯は兼ねて人に聞いて置いたから梅月とかいふ天麩羅屋で食つた。いつもなら純粹の大阪人
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