め出される。一體船の名も、漁夫の狹い聯想作用に制限せられるので、また土地の關係、日常の簡單な精神生活を暗示する處が面白い。「不動丸」「天神丸」「妙法丸」などは日頃信心する神佛に因縁《ゆかり》のある名である。「青峰丸」「清通丸」に至つては唯彼等の語彙の貧しい事を示すに止る。而して彼等の色彩に對する要求は之を以つて滿足せずに、汽船宿の搏風を赤く塗り、和洋折衷の鰹船の舷を群青で飾るのである。
 東京では冬は、市街は澁い銀鼠と白茶の配調《アランジマン》が色彩の主調である。縱令《よし》天保の法度が出なかつたとした所で、よしまたその爲めに表《おもて》を質素にし裏を贅澤にすると云ふ樣な傾向にならなかつたとした所で、派手な冬の衣裳は周圍と調和せぬのである。故に一頃流行つた小豆色、活色《かついろ》の羽織は、動物園の中の暗い水族館の金魚を思ひ出させたのである。江戸が澁い趣味を東京に殘したのも故ある事だ。またゲエテはナポリ人《びと》が馬車を赤くし、馬首に旗を飾り、色斑らな帽子を被るのは趣味の野蠻なのではなくて、明るい周圍の爲めだと云つてゐる。同じ意味でこの土地に青い船が出來、あの「萬祝」の着物が出來るのである。
 自然でさへも輕佻である。一日の内に海や空が幾度色を變へるか知れはしない。遠く、水平線上に相模の大山の一帶が浮んで居る。予の見たのは夕方であつた。緑の水の上の、入日を受けた大山の影繪《シルエツト》は眞に一個の乾闥婆城《フアタア・モルガアナ》であつた。その赤と云つても單調の赤ではない。燈火に照らされた鮮かな自然銅鑛の赤である。而してその日かげの紫は、正に濁つた螢石《フリウオリイン》の紫である。其間にも殊に光つた岬影の一部は、あかあかと熱せられたる電氣暖爐の銅板より外に比較の出來ない光澤に閃めいて居た。遠く、こなたの渚からその不思議な陸影を眺めて居ると、いつか心は亞刺比亞奇話のあやしい情調の國へ引き入れられるやうに思はれる。
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「濱の眞砂に文かけば
また波が來て消しゆきぬ。
あはれはるばる我《わが》おもひ
遠き岬に入日《いりひ》する」
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 一條の微かなる浪の高まりがあるかなきかのやうに、その銅城のほとりから離れて來て、段々と色は濃く、形は明かになつて――人に擬して云ふならば、或諧謔を思ひついた人が、遠くから話相手と目指す人に笑ひながら近《
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