タやつかん」と云ふ言葉がある。子供等の言ひなせる擬音の言葉である。ぶうといふのは法螺の貝の音である。ぢやつかん、ぢやつかんとは御輿に飾る珠や風鐸の響を模したのであらう。そのやうに今も神輿がゆれながら響いたのである。
 高い坂の上から狹い街路を下瞰して居ると、今しも坂を下つた御輿が屋根と屋根との間に現はれた所である。法螺の貝はものものしげに鳴る。而して幾度か止まり幾度か蹌踉《よろめ》いて、子供等の小さい胸を痛ましめた神輿は、突然何か思ひ付いたやうに細い道を東の方に驅つて行つた。
 山腹の石の鳥居、その下は直ぐ崖で、海に沿ふ家の屋根が見える。そこに青い海面から拔けて白の幟が立つ。而して水平線の彼方には房總の山が眠る。この光景は既になつかしい廣重の情調である。而してこの種の情調の中に、凡てを破壞する現代文明の波にも破られずに、尚能く昔の面影を止むる祭典及び其他の年中行事を殘して居ると云ふ事はめづらしい事である。實際はこの鹿島踊の如きも必しも珍らしいものでは無いかも知れぬ。香取、鹿島の兩社は遠く藤原氏の時代から勢力のあつた社で、その末社も少くはないだらう。隨つて鹿島踊、鹿島の事つげ、船唄の類もまだ全國の諸所に殘つて居るかも知れないが、然し盆踊はつい近頃まではあんなに盛であつたのが、今は殆ど全廢してしまつた。此種の祭典もやがて遠からず無くなつてしまふのだらう。だから予も冗漫を厭はずに目に見た所をそのまま書き付けようと思つたのである。
 それから予等は神輿の跡は追及しないで、後にその着く可き海岸で待つて居た。をととし見て覺えて居る所では、やはりそこに踊がもう一度あつて、それから裸體の男が三十人許りで御輿と人々とを船に乘せるのであつた。
 やがてそれも濟んだと見えて、岸に繋いであつた船が動き出した。怪しい人のどよもしが遠くから聞えて來る。船には各二本の竹竿を立て、それに燈籠と幟とを付け、數條の造花をしだらした。この二艘の主な船を中心にして、其他四五艘の小さい船がそれを取り卷く。また別に一艘、彩色を施した彫物の屋臺で飾つた、俗に「御船《おふね》」といふ船がある。それには舳の所に肩衣を付け大小を差した人が坐つてゐる。
 是等の船が動き出して、艪を漕ぐ人の姿は見えるけれども船は中々に近よらぬ。こなたの海岸には見物の群が増してはや五六百の人を數へられるやうになつた。陸に揚げてある多くの船
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