Aかの祭典の催のある街區に入つたのである。
海郷の祭典が如何に愉快なる諧調を四圍の自然とそこの住民との間に造り出したかに就いては更に筆を新にして報告せねばならぬ。予は今は勞れて居る。これから一つ湯にはひらうと思ふ。
今日もさうであつたが、をととひの晝間は春のやうな風が此町を音づれた。庭の葡萄の枯葉、石菖、野芹などを眺めてゐると、陽炎で目が霞んだ。それから田圃へ出たら例の稻村が淡く日を受けて居た。その下の田の土の色、畔《くろ》の草の色――是等は他の季節に見る事の出來ない親《した》しみ、懷《なつ》かしみを藏してゐる。日本の油畫ではややふるくは久米氏の稻村の畫、山本森之助氏の山麓の農家の畫、それから一昨年かの白馬會の跡見泰氏の田圃の畫の外にはかう云ふ致《おもむき》を寫したのは見ない。早く Exoticomanie が過ぎてかういふ地方色をゑがいた畫が見たい。
これから温泉である。あの硫化水素の臭ひと温い液體の輕い壓力とは兎に角氣持がよい。人間をのらくら者にさせる丈の力は十分ある。今日、日沒の少し前、街道を歩いて温泉の一廓に出たらまた忽ちこの臭ひに襲はれたのであつた。田舍とは云ひながら、その賑かな街道に、煙草屋、下駄屋、小間物屋の間に共同の温泉場があつて、外から裸形の人影が覗かれるなどは、全く異郷の感じがする。道傍に立つ柳、石の道陸神、湯槽から出て川に流るる湯の匂ひ、冬の穩かなる日の微かなる風、また野邊の揚雲雀、藺の田に淀む脂などは正に蕪村の詩趣である。
かう云ふ土地に生れて、今の世は知らず、昔ののんきな時代の人が怠け者か道樂者にならないと云ふ筈はないのである。さう云ふ人々の逸話も亦ここ彼方《かしこ》の家庭に殘つてゐる。その人々の多くは小高い山腹の墓の下に眠つて居る。その家は或はなくなり、或は今に殘つて、其あとの人々を住まして居る。
Vedi Napoli e poi muori !(正月七日夕刻。)
で、祭の事を書かう。をととし君と一緒に見たあの祭だ。予は四年目に一度あるものと思つて居たら、さうではなくて隔年にあるのであつた。そんなら君にさう言つてやるのだつたのに。今年はもう慣れて居たから大して心を動かすやうな事は無かつた。一昨年《をととし》は、君には言はないで居たが、十幾年の間と云ふもの、全く忘れて居たいろいろの物を突然見せられたのだからして、すつかり少年
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