の有楽座の自由劇場(多分ボルクマンの初演)のはねた後東洋軒で「渋谷村の連中、岩野氏、蒲原氏、島崎氏、」それにわれわれのパン会の一部とが、総勢廿五人ばかり、岩村氏の音頭にてシヤンパンを抜いたりなどした。
明治四十三(一九一〇)年、二月七日。パンの会。山崎来り二人にてアフイシユをかく。予は異国情調にてかく。山崎は会には行かず。又パンの大提灯を作る。
会場は三州屋。定連のほかには藤島氏、鈴木鼓村氏、與謝野氏、水野葉舟、安成、その他ずゐぶん大勢であつたが詳しく日記にしるされてゐない。
同年二月廿七日、パン例会。集まるものは高村、石井、小山内、北原、吉井、長田の少人数であつた。
此日屋上庭園の二号が発売禁止になつたといふ知らせを得る。
同年十一月廿日。パン大会、三州屋。長田、柳、吉井、猿之助、南、高村、永井、山崎、谷崎、武者小路、小宮、島村、柏亭、青山、一平其他大勢。
此会は黒わく事件といふので有名であつた。それは「長田秀雄君の入営を祝す」と大書したびらに黒わくを附けたのを高村君が持つて来て壁にかけた。萬朝報の記者が唯一人来て居た。誰も知人がなく相手にされなかつたものだから憤慨
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