當には箸がついてゐないな。」
 さう云つて父は立ち上り、近くの若葉をつけた灌木から、素直にますぐに伸びた一枝を切り取り、丹念に其皮を剥がし、先端を尖らしてくれた。「さあ、これで食べなさい。」
 當時は寄生蟲の害などと云ふ事をまだ世間の人が注意しなかつたので、山※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、260下−22]りの人は皆この清冽な澤の水でもつて辨當を使つたのである。父と僕とは茶のみ茶碗に盛つて飮み、他の人は手ですくつて飮んだ。新しく作つた箸は生々とした晩春の臭ひをただよはした。
 これ以上くはしくは其時の光景や人の爲業《しわざ》を思ひ出すことは出來ない。これだけの事を思ひ出すのも、これから話すすかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]からの聯想ゆゑである。
「お前あれを知つてゐるか。[#底本では句点が抜けている]」と父が云つて指さした。
 水の流の一方にさはさはと、其すかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]の一群が繁茂してゐたのである。それから高まる莖は太く、みづみづしく、いかにも軟かさうである。折つたらぽかりと音を立てて挫《くじ》けさうである。
「あれは食べられるよ、知つてゐるか
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