て、しばらく自分《じぶん》だちとはかゝはりもなく、行來《ゆきゝ》する人《ひと》の足音《あしおと》を聞《き》いてゐた。
『どうしませうね。』
 やがて、まち子《こ》は立《た》ちくたびれたやうに云《い》ふと、末男《すゑを》は氣《き》づいてあてもなく歩《ある》き出《だ》した。しかし足《あし》の惡《わる》いまち子《こ》は、すぐに疲《つか》れるので、やがて靜《しづ》かなカフエーかレストランドに入《はひ》らなければならなかつた。
 二人《ふたり》は、子供《こども》を抱《だ》いて明《あか》るい通《とほ》りから折《を》れて、暗《くら》い道《みち》を歩《ある》いた。暗《くらい》い所《ところ》に來《き》ても、銀座《ぎんざ》の明《あか》るみを歩《ある》く人《ひと》の足音《あしおと》は聞《きこ》えた。
『銀座《ぎんざ》はずゐぶん、いろんな人《ひと》が歩《ある》いてゐさうだわね。』
 まち子《こ》は、夫《をつと》のあとから歩《ある》きながら、一人《ひとり》ごとのやうにきこえない位《くらゐ》な聲《こゑ》で云《い》つた。そして、あのぞろ/\と歩《ある》いてゐる人《ひと》の一人一人《ひとりひとり》の過去《くわこ》や現在《げんざい》、また未來《みらい》のことを考《かんが》へたらきつとお互《たがひ》になにかのつながりを持《も》つてるに違《ちが》いないといふやうな氣《き》がした。
 やがて二人《ふたり》は、あるレストランドの二|階《かい》の一|隅《すみ》に腰《こし》をおろした。まち子《こ》は疲《つか》れた身體《からだ》をそつと椅子《いす》にもたれて、靜《しづ》かな下《した》の道《みち》をのぞこふと窓《まど》をのぞくと、窓際《まどぎは》に川柳《かはやなぎ》の青白《あをしろ》い細《ほそ》い葉《は》が夜《よる》の空《まど》[#ルビの「まど」はママ]に美《うつく》しくのびてた。
 まち子《こ》は、いつまでもいつまでも誰《たれ》も何《なに》も云《い》はなかつたら、その青白《あをしろ》い細《ほそ》い葉《は》の川柳《かはやなぎ》[#ルビの「かはやなぎ」は底本では「かはなぎ」]を見《み》つめてゐたかもしれない。この川柳《かはやなぎ》も古郷《こきやう》に多《おほ》い。彼女《かれ》は、それをじつと見《み》つめてゐると、また昔處女《むかしゝよぢよ》であつた折《をり》に、病《やまひ》の爲《た》めに常《つね》に淋《さび》しかつた自分《じぶん》の心《こゝろ》を思出《おもひだ》したのであつた。[#「あつた。」は底本では「あつた」]まち子《こ》の足《あし》は、十六の終《をは》り頃《ころ》から人《ひと》なみに座《すは》ることが出來《でき》なかつた。なんといふ病《やまひ》やらも知《し》らない、度々《たび/″\》病院《びやうゐん》に通《かよ》つたけれども、いつも、おなじやうな漠然《ばくぜん》としたことばかり云《い》はれて居《ゐ》る。身體《からだ》が弱《よは》い爲《た》めだから營養《えいやう》をよくすること、足《あし》の膝關節《しつくわんせつ》が痛《いた》かつたら罨法《あんはふ》をするといふ事《こと》であつた。彼女《かれ》は別《べつ》に身體《からだ》の元氣《げんき》はかはらなかつたので、學校《がくかう》に通《かよ》つて歸《かへ》つて來《く》ると一人《ひとり》で罨法《あんはふ》をした。別《べつ》に特別《とくべつ》痛《いた》むわけでもなく外面《ぐわいめん》からも右足《うそく》の膝關節《しつくわんせつ》は、なんの異常《いじやう》もなかつたのであるけれども、自由《じいう》に曲折《きよくせつ》が出來《でき》ない爲《た》めに、學校《がくかう》では作法《さはふ》と體操《たいさう》を休《やす》まなければならなかつた。
 けれどもまち子《こ》は必《かなら》ずしも癒《なを》らないとは思《おも》はなかつた。そしてどうかして早《はや》くなほしたいといつも考《かんが》へてた。そして自分《じぶん》の部屋《へや》に入《はひ》ると、古《ふる》びた青《あを》いビロードの椅子《いす》に腰《こし》をおろして、その膝《ひざ》をもんだり、痛《いた》さをこらへて少《すこ》しでも折《を》り曲《ま》げやうとしたり、または罨法《あんはふ》してそつとのばしたり等《など》した。そしてまち子《こ》は自分《じぶん》が何《なん》の爲《た》めに、いつとも知《し》れずこんな足《あし》になつたのだらうか、といふ事《こと》を考《かんが》へてると、いつの間《ま》にか涙《なみだ》が浮《うか》んで來《き》てならなかつた。
 まち子《こ》は、ふと昔《むかし》のことを考《かんが》へると、なんとなく自分《じぶん》の身《み》が急《きふ》にいとしいものゝやうに思《おも》はれて、そのいとしいものをかい抱《いだ》くやうに身《み》をすくめた。
 まち子《こ》は、いつも窓《まど》に向《む》いて椅子《いす》に腰《こし》をおろしてゐた。その四|角《かく》な彼女《かれ》が向《む》いてる硝子窓《がらすまど》からは、黄色《きいろ》い落葉松《からまつ》の林《はやし》や、紫色《むらさきいろ》の藻岩山《さうがんざん》が見《み》えて、いつもまち子《こ》が腰《こし》をおろして涙《なみだ》ぐむ時《とき》は、黄昏《たそがれ》の夕日《ゆふひ》のおちる時《とき》で硝子窓《がらすまど》が赤《あか》くそまつてゐた。まち子《こ》は、涙《なみだ》が浮《うか》んで來《く》ると、そつと瞳《ひとみ》を閉《と》ぢた。そして、いつまでもじつとしてゐた。初《はじ》めは、兄妹《きやうだい》たちの聲《こゑ》が隣《となり》の室《しつ》から聞《きこ》えて來《き》た。そして彼女《かれ》は悲《かな》しかつた。けれどもだんだん何《なに》も聞《きこ》えなくなつていつの間《ま》にか彼女《かれ》は、無《む》にゐることを覺《おぼ》えるやうになつたのであつた。
 まち子《こ》は、その時《とき》その足《あし》の爲《た》めに未來《みらい》がどうなるかとも考《かんが》へなかつた。自分《じぶん》がその足《あし》の爲《た》めに世《よ》の中《なか》にどんな心持《こゝろもち》で生《い》きなければならないかと、いふ事《こと》も考《かんが》へなかつた。只《たゞ》、その時《とき》知《し》つたのは自分《じぶん》の心《こゝろ》の自分《じぶん》の肉體《にくたい》の限《かぎ》りない淋《さび》しさであつた。
 自分《じぶん》の病氣《びやうき》はその後《ご》上京《じやうきやう》して、すぐに結核性《けつかくせい》の關節炎《くわんせつえん》だといふ事《こと》がわかつたのだと、まち子《こ》は、ふと夫《をつと》の顏《かほ》を見《み》ながら考《かんが》へた。その時《とき》、まち子《こ》はもはや起《お》き上《あが》ることが出來《でき》なかつた。そして切斷《せつだん》して松葉杖《まつばづゑ》をつく身《み》になつたのである。まだ若《わか》い十八の年《とし》に、彼女《かれ》は、淋《さび》しい昔戀《むかしこひ》しいやうな心持《こゝろもち》になつて、もしも自分《じぶん》が松葉杖《まつばづゑ》をつかない壯健《そうけん》な女《をんな》であつたならば、自分《じぶん》の運命《うんめい》はどうなつたであらうかと考《かんが》へた。いまとおなじ生活《せいくわつ》をしてゐるであらうか。
『默《だま》つてゐるね。』と末男《すゑを》は退屈《たいくつ》さうに云《い》つた。
『えゝ。』と、まち子《こ》は笑《わら》ひながら答《こた》えたが、彼女《かれ》は自分《じぶん》の昔淋《むかしさび》しい少女時代《せうぢよじだい》のことは話《はな》さなかつた。そして氣《き》がついたやうに、また窓《まど》の外《そと》をのぞいた。



底本:「保健 第一卷第四號」衞生新報社
   1917(大正6)年11月1日発行
※句読点の訂正、注記は、句点の脱落が疑われるところに限りました。
※ルビの訂正は、作品内で付け方に食い違いのあるものに限りました。
入力:小林 徹
校正:富田倫生
2008年10月2日作成
2008年10月30日修正
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