彼女の見当は当らない時はなくなった。そして、バタリと扉《ドア》の外に足音が止まった時には、おのづと緊張した愉快な顔色になって居た。
『如何です。お変りありませんか。』
 軍医は体温表を一寸見て静かに言った。お葉はその時きっと前の晩の足の痛かった事や、今朝の脊中の痛かったこと等が、なんでもない事のやうに消えてしまふので、[#底本では行頭一文字下げていない、50−4]
『いゝえ、別に、』と彼女は笑った。
 彼女は、楽しい夢ばかりを見た。友だちと手をつないで、賑やかな夜の街のきらびやかな飾窓をのぞいた事や、大ぜいで野原に遊びに行って楽しかった事などが、彼女の夢の世界に表はれた。お葉は、この病院に入る前、丁度椿のはなが咲く頃から床についたきり、土を踏むといふ事は勿論、畳を歩くといふ事さへ、柱によって立つといふ事さへ出来なかったのだけれども、夢には指の先すら痛む事はなかった。床の上にあを向いたまゝ空を見てると、枯れたやうな桐の木からグン/\と芽が出て、若々しい青葉がヒラ/\と風にゆられた。そして椿の花が次から次へとくづれて、土に落ちて行くのであった。彼女は、その時かうして床につく前に、母親と痛い
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