でもなほお葉の體から離れなかつたのである。
 もしそこに、どす黒い水が子供の死を迫つてゐたとしても、子供は初めて瞳に寫した驚異の爲めに、眼を見はつてゐたのであらうか。お葉が振り返つて子供を見た時、湧き出るやうな微笑をおさへる事が出來なかつたのである。子供は最初、馬が四足で歩くことを驚いたに違ひない。人間が鉢卷をして車を引くことにあきれたことだらう。やがて子供は瞳を閉ぢて笛を吹いて行く人、背中を駱駝《らくだ》のやうに曲げて歩く人、二脚の杖にすがつて、一脚の足を運ぶお葉の姿に驚きを感じたことであらう。
 土塀の側には、女の子が輪を畫いて大聲に唄つてゐた。しかしお葉が來かかつた時、一齊にやめられたのである。
「可哀想だわね。」
 銀杏返《いちやうがへ》しに結《ゆ》つた小さなませた子守が、ひそかに言つて眉をひそめた。するとそこに目のくるりとした小さな子が、不意に聲高く叫んだのである。
「あたし、憎らしいわよ。」
 子供等は皆圍むやうにして見守つた。お葉はまたこみ上げて來る微笑を押へることが出來なかつたのである。
 これが二ケ月前であつたなら、目にあふれるやうな泪《なみだ》をたたへて、格子の外か
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