方からつり上げて丁度木とゴム製の玩具のやうにクルクル前の方に進んでゐるのである。お葉は本當に恥しいものを見たと思つて、一目見るなり肩をつぼめ、裾ながく着た着物の中に一脚の足をすくめるやうにして、首を垂れて歩いた。往來の人が多い。往來の人はすべて袖を引き合つて少女を見た。お葉は心の中に一心になつて、その少女と自分が見くらべられることを避け樣とした。人々がもしあの少女を見たならば瞳をめぐらして自分を見出さないで欲しい。もしも又前から自分を見てゐたならば、踵《くびす》を返してあの少女に目をとめないで欲しいと祈つた。しかし人間の眼は自在に動く。彼《か》の少女を捕へた好奇の瞳は、やがて軒下を憚《はばか》つて歩くお葉の亂れた銀杏返しから、足元に到つたのである。そして裾にからまつて見えかくれする足は玩具のやうに進んだ少女と等しくあることを見出して、瞳を見張つた。そして誇りかの娘は、連れそつた男の袖を引いて小聲に何か囁いたのである。二人の眼は險《けは》しく先にゆく少女の影と、行きすぎたお葉の姿を見くらべた後、彼等の心は少しの動搖も起さず、平和に道を歩いて行つたのであつた。お葉は人の少い通に出た時、輝《かがやか》しい瞳を上げて大空を仰いだのである。そして、「私は本當に死ぬんだもの、三十三には死ぬんだもの、」と心のうちに嬉しく叫んだのである。誰れも知るまい。私が死ぬなんて云ふことも、私の死がどんなに幸福であるかといふことも、すべての人は知らないんだ。
 彼女はやがて歩き出しながら、先刻《さつき》行き違つた少女のことを考へたのである。あの少女はまだ死なんて云ふことを考へる事が出來ないに違ひない。從つて自分がいま生きてゐるといふ喜びを自覺しないで、尊い生を無意義に必ず虐《しひた》げられてあることを思つて悲しんだのであつた。
 お葉はあく迄死を信じた。三十三の年に於いて自らの死を信じて疑はなかつた。
 彼女の死は虚榮だかもしれない。反抗だかもしれない。復讎《ふくしう》だかもしれないのだ。お葉は年齡の醜い影を見たかなかつた。また嵐が草木を折るやうな奪略を恐れた。彼女が三十三に於いて眞に死に得た時は、その三十三の生がどんなに華やかな力づよいものとなるであらう。その時の死は勝利の凱旋《がいせん》である。死を定めてすべてを擲《なげう》つたのでなかつた。お葉は死を定めてすべてに光明を見出したのである。
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