年のあることを考へたのである。その年は月光のやうな青白い光りを持つてゐることを感じた。劍のやうな鋭さを持つてることを考へた。そしてお葉はそこに瞑想したのである。ささいの感情はそこに弱いもののすべてを迷信的に支配した。それにどんな矛盾があつてもいい。彼女は三十三の年に死なうといふ事を考へて、定められた自分の命の尊さに、充實した力づよさを感じたのである。
 お葉はすべての幸福を死に求めた、それが未來であるやうに。またすべての行爲は死によつて定められた、それが希望であるやうに。すべて見る眼考へる心、それに死は幻のごとく浮んだのである。
 彼女は夕方よく裏道を歩いた。
 母に連れられた子供は、遠い夕雲と母親の足どりに氣をくばりながら物悲しく歩いて、お葉と行き違つたのである。子供はふと悲しくなつて母親を見た。母親は笑つて子供を振り返つた。子供は漸く安心したやうに改めて、お葉に對して驚異の瞳《ひとみ》を輝かしたのであつた。
 いつまでたつても子供の好奇心は盡きさうにない。そして漸く斜に歩き出して、やがて傍の小さな溝に落ち入つたのである。水のない溝のなかに片肘《かたひぢ》ついて轉げた子供の瞳は、それでもなほお葉の體から離れなかつたのである。
 もしそこに、どす黒い水が子供の死を迫つてゐたとしても、子供は初めて瞳に寫した驚異の爲めに、眼を見はつてゐたのであらうか。お葉が振り返つて子供を見た時、湧き出るやうな微笑をおさへる事が出來なかつたのである。子供は最初、馬が四足で歩くことを驚いたに違ひない。人間が鉢卷をして車を引くことにあきれたことだらう。やがて子供は瞳を閉ぢて笛を吹いて行く人、背中を駱駝《らくだ》のやうに曲げて歩く人、二脚の杖にすがつて、一脚の足を運ぶお葉の姿に驚きを感じたことであらう。
 土塀の側には、女の子が輪を畫いて大聲に唄つてゐた。しかしお葉が來かかつた時、一齊にやめられたのである。
「可哀想だわね。」
 銀杏返《いちやうがへ》しに結《ゆ》つた小さなませた子守が、ひそかに言つて眉をひそめた。するとそこに目のくるりとした小さな子が、不意に聲高く叫んだのである。
「あたし、憎らしいわよ。」
 子供等は皆圍むやうにして見守つた。お葉はまたこみ上げて來る微笑を押へることが出來なかつたのである。
 これが二ケ月前であつたなら、目にあふれるやうな泪《なみだ》をたたへて、格子の外か
前へ 次へ
全15ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング