苦しい恥羞は、罰を受けた時の良心であろうと思ったのだ。
『私はなんにも知らない。』
 彼女は、遣瀬《やるせ》なさとかなしさと、不安との為めに立上ることも出来ずにいた。そして、彼女の美しい腕や胸は疲れて、眼は不安に空を見つめたまゝしばらくふるえていた。
 しかし人間のあらゆる感情と行為とは、どれだけ生理的によって強いられるかわからない。
 少女はまたすべての感覚が著しく、鋭敏になっていた。彼女の乱れた髪のなかの小さな二つの耳は真赤になって、襖の外にする物音や声をすばやく捕えることによって、おのゝいているのであった。そして、いまにも何人かゞこの襖を開けて自分を見るであろうという予覚によってたまらなく不安でならなかった。
『どうしよう、どうして。』
 少女は、ぬけ出た夜具の乱れた模様の皺を見つめて、不安と恥しさにふるえながら、
『どうして、すべてのことどんな事でもお話しすることの出来たお母様に、どうして、こんな事がこんなに恥しいのだろう。』と考えた。
 そして、この変化によってすべての今までの明るい面白い歓喜と希望にみちた、夕《ゆうべ》までの楽しい多くの友だちと兄弟との世界がすっかり閉されてしまって、彼女には重苦しいやるせない夕方の木影のような暗い不安な世界ばかりになったように思われた。
『私はもうみんなお友だちと遊ぶことが出来ない。私は一人ぼっちになってしまわなければならない。けれどもどうしたことだろう。』
 少女は、忽《たちまち》きのう友だちと街を自由に楽しく歩きながら、今日からの夏休に対して、限りない歓楽の想像と、それについていろ/\な約束をしたこと等思出して悲しかった。
 そして、今朝《けさ》は友だちが農園の小川のほとりに遊びに行く為めに、誘いに来るだろうと思いながら、少女は肩のあたりから落ちそうになった、赤いリボンをむしり取りながら、茫然と目の前を見つめた。『本当にどうして、[#「『本当にどうして、」は底本では「本当にどうして、」]私ばかりが、私ばかりにこんな事があるのだろうか、皆が知らない顔をしているとする。けれども皆はいつも愉快に楽しそうなのだもの。私ばかりだ。』
 少女はじっと動かずに疲れたらしい様をして、恨めしそうにカーテンの先をわずかにつまんでは、無意識にかみ初めた。と、不意に殆ど彼女がおそわれるように感じた程に――母親が襖を開けて顔を出した。
『もうお起きだろうね。』
 そして母親は、常のように優しく声をかけて、少女を見守ろうとしたが、少女が全くおびえたように驚いて、カーテンを急にかたく顔におしあてたのを見て、母親は、あきれたように目を見はった。
『おやお前はなにをしてるの。』そして、母親は、おじ/\と彼女の部屋のなかに入って来て、少女の肩に手を触れようとしたが、少女は母の手が恐ろしいものゝように、さけるようにしてうつむいた。彼女は、とう/\カーテンで押えた、その大きな露を持ったような瞳を、すっかり泪におぼれさしてしまったのである。
 母親は、いぶかしそうに再び周囲を見まわした。そして、彼女が自分自身を母親に見られることが、恥しくまた恐れているような様子を見た。少女の肩に乱れているお下髪《さげ》の髪が、静かにふるえているのであった。
 それで母親は、ふとあることに気がついたように、掛けてあった夜具をひろげて見た。そして漸く安心したように襖をしめて、少女の傍に坐り静かに話しをして聞かせた。それが、すべての女に対して女と産れた以上は、必ずあるべきことであるけれども、ひそかにかくすべきいまわしい恥ずべきことゝしてまた母親自身も、それについて話すことを躊躇し、またいとうようであった。
 少女は、なおカーテンの中に顔をうずめながら恥しさと厭わしさに耳をそめて、静かにうなずきながら聞いた。けれども遂に少女は母親が部屋を出て行ってしまうまで、顔からカーテンをはなすことが出来なかった。母親の顔を見ることすら出来ないほど、彼女の心は恥しさに満たされてしまったのであった。
 やがて彼女は、窓硝子を透して暑いまぶしい日光が額と前髪とにあたるのを感じた。それで、漸く彼女は瞳を見開いて、日がうるんだ彼女の瞳の前にいくつかの小さな環になって、キラ/\と渦をまくように感じながら、物倦《ものう》く着物の前を合せて、それからひそかに姉や兄やまた母親の姿をさけて、茶の間に行った。そして初めての、限りなく不安な不味い朝の食事を、かぎりない寂寥と孤独とを感じながら一人でたべ終った。彼女は、そしてまたすぐ知られないうちに、自分の部屋に帰って襖を閉じた。
 けれども少女は、幾日もまた幾年も逢わない人のように、姉や兄の顔を見たかった。また母に云ってきのうのおいしかった十四号の林檎をたべたかった。そして姉や兄はどこへ行ってなにをしているのだろうと、むやみに恋
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