でもない?』
 彼は一生懸命に云った。彼女は茫然とうなづいて瞳を見開いたが、その瞳の底が淋しさうに光った。すると産婆が身ぶるひをしながらせはしさうに口を利いた。
『でも御心配なら産科の医者をおよびになってもよござんすよ。あの野田さんがよござんせう。』
 男はあはてゝ医者を呼びにやった。彼女はふと驚いたやうに瞳を見開いて聞いた。
『お医者さまが来るの。』
『うん、只来てこゝにゐて貰ふだけなんだからね。なにも心配しない方がいゝよ。』
 彼女は黙ってうなづいたが、どこか苦しそうに肩をひそめた。
 まもなく寒い外に俥《くるま》の鈴《べる》がなりひゞいて、背の小さな青い顔の、黒い服を着た男が入って来た。すると産婆が急に席をうごいて、口をゆがめて笑ひながら医者に長い挨拶をした。そして彼女は話し出した。
『私も一度拝見しましたばかりで、よく身体の様子はわからないので御座いますが、かすかな痛みは今朝からあったやうで御座いまして、私の参りましたのが丁度お昼、それからすぐに陣痛がだんだん烈しくなって来まして、午後三時頃には三銭銅貨大ほど子宮孔が開いて来まして、四時半にはもう生まれてしまったのですが。』

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