らを憐まんとはせじ。
物《もの》皆《みな》の凋落の季節《とき》をえらびて咲き出でし
あはれ汝《なんぢ》らが矜《ほこり》高かる心には暴風《あらし》もなどか今さらに悲しからむ。

こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内《しつない》の
燈《ともしび》にひかる鏡の面《おもて》にいきいきとわが双《さう》の眼《まなこ》燃ゆ。
野分《のわき》よさらば駆けゆけ。目とむれば草《くさ》紅葉《もみぢ》すとひとは言へど、
野はいま一色《ひといろ》に物悲しくも蒼褪《あをざ》めし彼方《かなた》ぞ。
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 若死 N君に


大川《おほかは》の面《おもて》にするどい皺がよつてゐる。
昨夜《さくや》の氷は解けはじめた。
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アロイヂオといふ名と終油《しゆうゆ》とを授かつて、
かれは天国へ行つたのださうだ。
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大川《おほかは》は張つてゐた氷が解けはじめた。
鉄橋のうへを汽車が通る。
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さつきの郵便でかれの形見がとゞいた、
寝転《ねころ》んでおれは舞踏《ぶたふ》といふことを考へてゐた時。
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しん底《そこ》冷え切つた朱色《しゆいろ》の小匣《こばこ》の、
真珠の花の螺鈿《らでん》。
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若死をするほどの者は、
自分のことだけしか考へないのだ。
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おれはこの小匣《こばこ》を何処《どこ》に蔵《しま》つたものか。
気疎《けうと》いアロイヂオになつてしまつて……。
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鉄橋の方を見てゐると、
のろのろとまた汽車がやつて来た。
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 沫雪 立原道造氏に


冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ。匂ひやかなる沫雪《あわゆき》の
今朝《けさ》わが庭にふりつみぬ。籬枯生《まがきかれふ》はた菜園《さいゑん》のうへに
そは早き春《はる》の花《はな》よりもあたたかし。

さなり やがてまた野いばらは野に咲き満《み》たむ。
さまざまなる木草《きぐさ》の花は咲きつがむ ああ その
まつたきひかりの日にわが往《ゆ》きてうたはむは何処《いづこ》の野べ。

…… いな いな …… 耳傾けよ。
はや庭をめぐりて競《きそ》ひおつる樹々のしづくの
雪解《ゆきど》けのせはしき歌はいま汝《なれ》をぞうたふ。
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 笑む稚児よ……


笑《ゑ》む稚児《ちご》よわが膝に縋《すが》れ
水脈《みを》をつたつて潮《うしほ》は奔《はし》り去れ
わたしがねがふのは日の出ではない
自若《じじやく》として鶏鳴をきく心だ
わたしは岩の間を逍遙《さまよ》ひ
彼らが千の日《ひ》の白昼を招くのを見た
また夕べ獣《けもの》は水の畔《ほとり》に忍ぶだらう
道は遙に村から村へ通じ
平然とわたしはその上を往《ゆ》く
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 早春


野は褐色と淡《あは》い紫、
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田圃《たんぼ》の上の空気はかすかに微温《ぬる》い。
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何処《どこ》から春の鳥は戻る?
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つよい目と
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単純な魂と いつわたしに来《く》る?
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未《ま》だ小川は唄ひ出さぬ、
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が 流れはときどきチカチカ光る。
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それは魚鱗《ぎよりん》?
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なんだかわたしは浮ぶ気がする、
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けれど、さて何を享《う》ける?
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 孔雀の悲しみ 動物園にて


蝶はわが睡眠の周囲を舞ふ
くるはしく旋回の輪はちぢまり音もなく
はや清涼剤をわれはねがはず
深く約せしこと有れば
かくて衣光りわれは睡りつつ歩む
散らばれる反射をくぐり……
玻璃なる空はみづから堪へずして
聴け! われを呼ぶ
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 夏の嘆き


われは叢《くさむら》に投げぬ、熱《あつ》き身とたゆき手足《てあし》を。
されど草いきれは
わが体温よりも自足《じそく》し、
わが脈搏《みやくうち》は小川の歌を乱しぬ。

夕暮よさあれ中《なか》つ空《そら》に
はや風のすずしき流れをなしてありしかば、
鵲《かさゝぎ》の飛翔の道は
ゆるやかにその方角をさだめられたり。

あゝ今朝《けさ》わが師は
かの山上に葡萄を食《しよく》しつつのたまひしか、
われ縦令《たとひ》王者にえらばるるとも
格別不思議に思はざるべし、と。
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 疾駆

われ見てありぬ
四月の晨《あした》
とある農家の
厩口《うまやぐち》より
曳出さるる
三歳駒を

馬のにほひは
咽喉《のど》をくすぐり
愛撫求むる
繁き足蹈《あしぶみ》
くうを打つ尾の
みだれ美し

若者は早
鞍置かぬ背に
それよ玉揺《たまゆら》
わが目の前を
脾腹光りて
つと駆去りぬ

遠嘶《とほいなゝき》の
ふた声みこゑ
まだ伸びきらぬ
穂麦の末に
われ見送りぬ
四月の晨



底本:「詩集 わがひとに与ふる哀歌」日本図書センター
   2000(平成12)年2月25日初版第1刷発行
底本の親本:「詩集夏花」子文書房
   1940(昭和15)年3月15日発行
※底本の「凡例」に以下の記載がありました。
「漢字は原則として新字体に改めた。ただし、一部に見られる正字と略字(俗字)が併用されている漢字は正字(旧字体)を生かしたものもある。」
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が1字下げになっています。
入力:宮元淳一
校正:小林繁雄
2005年5月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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