海水浴
この夏は殊に暑い 町中が海岸に集つてゐる
町立の無料脱衣所のへんはいつも一ぱいだ
そして悪戯ずきな青年団員が
掏摸を釣つて海岸をほっつきまはる
町にはしかし海水浴をしない部類がある
その連中の間には 私をゆるすまいとする
成心のある噂がおこなはれる
(有力な詩人はみなこの町を見捨てた)と
[#改ページ]
わがひとに与ふる哀歌
太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内《うち》の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒《つね》に変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讚歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何にならう
如かない 人気《ひとけ》ない山に上《のぼ》り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
[#改ページ]
静かなクセニエ(わが友の独白)
私の切り離された行動に、書かうと思へば誰
でもクセニエを書くことが出来る。又その慾
望を持つものだ。私が真面目であればある程
に。
と言つて、たれかれの私に寄するクセニエ
に、一向私は恐れない。私も同様、その気な
ら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが
出来るから。
しかし安穏を私は愛するので、その片よつ
た力で衆愚を唆すクセニエから、私は自分を
衛らねばならぬ。
そこでたつた一つ方法が私に残る。それは
自分で自分にクセニエを寄することである。
私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と
振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、
寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さ
うすることで、彼らの風上に立つのである。
悪口を言つた人間に慇懃にすることは、一《いつ》の
美徳で、この美徳に会つてくづほれぬ人間は
少ない。私は彼らの思ひついた語句を、いか
にも勿体らしく受領し、苦笑をかくして冠の
様にかぶり、彼らの目の前で、彼らの慧眼を
讚めたたへるのである。私は、幼児から投げ
られる父親を、力弱いと思ひこむものは一人
も居らぬことを、完全にのみこんでゐてかう
する。
しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決
して粗野な彼らの言葉
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 静雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング