の病院に
来て見給へ
深遠な書物の如《やう》なあそこでのやうに
景色を自分で截り取る苦労が
だいいち 私にはまぬかれる

そして きまつた散歩時間がある
狭い中庭に コースが一目でわかる様
稲妻やいろいろな平仮名やの形になつてゐる
思ひがけず接近する彎曲路で
他の患者と微笑を交はすのは遜《へりくだ》つた楽しみだ

その散歩時間の始めと終りを
病院は患者に知らせる仕掛として――振鈴などの代りに
俳優のやうにうまくしつけた犬を鳴かせる
そして私達は小気味よく知つてゐる
(僕らはあの犬のために散歩に出てやる)と

あんなに執念く私の睡眠の邪魔をした
時計は この病院にはないのかつて?
あるよ あるにはあるが 使用法がまるで違ふ

私は独木舟にのり猟銃をさげて
その十二個のどの島にでも
随時ずゐ意に上陸出来るやうになつてゐる
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 行つて お前のその憂愁の深さのほどに


大いなる鶴夜のみ空を翔《かけ》り
あるひはわが微睡《まどろ》む家の暗き屋根を
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ青き麦は
はや後悔の糧《かて》にと収穫《とりい》れられぬ

魔王死に絶えし森の辺《へ》
遥かなる合歓花《がふくわんくわ》を咲かす庭に
群るる童子らはうち囃して
わがひとのかなしき声をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし処《こ》を彩れ)と
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 河辺の歌


私は河辺に横はる
(ふたたび私は帰つて来た)
曾ていくどもしたこのポーズを
肩にさやる雑草よ
昔馴染の 意味深長な
と嗤ふなら
多分お前はま違つてゐる
永い不在の歳月の後に
私は再び帰つて来た
ちよつとも傷けられも
また豊富にもされないで

悔恨にずつと遠く
ザハザハと河は流れる
私に残つた時間の本性!
孤独の正確さ
その精密な計算で
熾《さかん》な陽の中に
はやも自身をほろぼし始める
野朝顔の一輪を
私はみつける

かうして此処にね転ぶと
雲の去来の何とをかしい程だ
私の空をとり囲み
それぞれに天体の名前を有つて
山々の相も変らぬ戯れよ
噴泉の怠惰のやうな
翼を疾つくに私も見捨てはした
けれど少年時の
飛行の夢に
私は決して見捨てられは
しなかつたのだ
[#改ページ]

 漂泊


底深き海藻のなほ 日光に震ひ
その葉とくるごとく
おのづと目《まなこ
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