」に傍点]助平野郎でさえあるじゃないか。知ってるぞ。いつだったか、海岸公園へ生徒を二人連れて遊びに行った時のことを。その時お前たちが芝生で腰を下して休んでいたら、やはり近くで休んでいた労働者風の男が二・三人、明らかに故意《わざ》と聞えるような声で猥《みだ》らな話を交していたろう。その時の・お前の態度や目付はどうだった! 当惑し切って、よそを向いて聞かないふり[#「ふり」に傍点]をしている――しかし、どうしてもそれを聞かない訳に行かない少女たちの方を、お前は、また、何といういやらしい[#「いやらしい」に傍点]目付で(おまけに横目で)ジロジロ見廻したことだ! いやはや。
なに、己は別に人間生来の本能を軽蔑しようというんじゃない。助平、大いに結構。しかし、助平なら助平で、何故堂々と助平らしくしないんだ。気取ったポーズや、手の込んだジャスティフィケイションのかげに助平根性を隠そうとするのが、みっともないと言ってるんだ。この事ばかりではない。その他の場合でも、何故もっと率直にすなおに[#「すなおに」に傍点]振舞えないんだ。悲しい時には泣き、口惜《くや》しい時には地団太を踏み、どんな下品なおかしさでもいいから、おかしいと思ったら、大きな口をあいて笑うんだ。世間なんぞ問題にしていないようなことを言って置きながら、結局、自分の仕草の効果をお前は一番気にしているんじゃないか。もっとも、お前自身が心配するだけで、世間ではお前のことなんか一向気をつけていないんだから、つまりは、お前は、自分に見せるために自分で色々の所作を神経質に演じている訳だ。全く、どうにも手の込んだ大馬鹿野郎・度しがたい大根役者だよ。お前という男は。…………
気がつくと、三造は、何処かの店の飾窓《ショウ・ウィンドウ》の前のてすり[#「てすり」に傍点]につかまり、硝子《ガラス》に額を押付けて危く身体を支えながら、半分睡っていたらしい。飾窓の明るさに眼をしばだたいてよく見ると、それは頸飾や腕輪や、そういう真珠の製品ばかりを売る店である。おでん屋の前でM氏と別れ、それからぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]といつの間にか、弁天通という・この港町特有の外人相手の商店街まで歩いて来ていたに違いない。振りかえって通りを見れば他の店は大抵しまって人通もなくひっそり[#「ひっそり」に傍点]しているのに、この店だけは、どうした訳か、まだあけているようだ。目の前の飾窓の中では、真珠たちが、黒い天鵞絨《ビロード》の艶やかな褥《しとね》の上に、ふかぶかと光を収めて静まっている。電燈の工合で、白い珠の一つ一つが、それぞれ乳色に鈍く艶を消したり、うす蒼く微かな翳《かげ》をもったりして、並んでいる。三造は酔ざめの眼で、驚き顔にそれをぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]眺めた。それから窓際を離れ、しばらくの間M氏のことも先刻の自己苛責のことも忘れて、人通りの無い街を浮かれ歩いた。
底本:「山月記・李陵 他9篇」岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年7月18日第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
1976(昭和51)年3月15日
初出:「南島譚」今日の問題社
1942(昭和17)年11月
入力:川向直樹
校正:浅原庸子
2004年8月10日作成
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