こんな言葉を使うのはまずいが、お前に言って聞かせるんだから、どうも仕方がない)そういう概観によっては、決して、大きくも深くも美しくもなりはせんのだ。逆に細部《ディテイル》を深く観察し、それに積極的に働きかけることによって、世界は無限に拡大されるんだ。この秘密を体得しもしないで、生意気にもいっぱし[#「いっぱし」に傍点]のペシミストがる資格はないね。誰だって人間が出来てくれば、そう一々、世俗だとか、そのコンヴェンションだとかを軽蔑するものじゃない。むしろ、その中に、最も優れた智慧を見出すものだ。眺めたままの人生の事実だけでは何の奇もないことも、それに或る物を加工し、それを一定の方式に従って取扱う時、たちまち、意味のある面白いものとなることがあるんだ。これが、人生のコンヴェンションの必要な所以《ゆえん》さ。もちろんこれにばかり没頭しているのは愚の骨頂だが、一見しただけで絶望したり軽蔑したりするのは、馬鹿げた話だ。初等代数の完全平方って奴を知ってるだろう? あの方式を知らなければちょっと解けそうもない方程式が、あれ一つですぐに出来てしまう。そのように、人生の与えられた事実に対しても、一通り方程式の両辺にb/2a[#「b/2a」は分数]の二乗を足《た》して解りやすく意味のあるものとする技術を習得すべきだね。懐疑はそれからで沢山だよ。
とにかく、繰返して言って置くけれども、あの気障《きざ》な・悟ったような・小生意気《こなまいき》な・もの[#「もの」に傍点]の言い方だけは、止してもらいたいな。全く、お前よりも此方《こっち》が恥ずかしくて、穴へでも這入《はい》りたくなる。一昨日《おととい》だって、見ろ。仲間の独身者たちと結婚について話をしていた時の・あのお前の言い草はどうだ? 何と言ったっけな。そう、そう。「どんな面白い作品だって、それを教室でテキストにして使えば途端に詰まらなくなっちまうのと同じで、どんないい女だって、女房にしちまえば、途端に詰まらない女になってしまうんだよ。」か。それを得意気に言った時の・お前のうすっぺらな・やにさがった顔付を思出し、お前の年齢と経験とを併せて考えると、本当に己《おれ》は、恥ずかしいのを通り越して、ゾッと鳥肌が立って来るよ。全く。まだ、ある。いうことは、まだ、あるんだ。鼻持のならない気取屋のくせに、その上、お前はきたならしい[#「きたならしい
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