って来た所によると、)全く驚いたことに一種の抽象的な感想――いわば、彼の人生観の一片のようなものだったからである。但し、その表現はいつもの通り度を越して間《ま》の抜けたものであり、その発声は曖昧《あいまい》で緩慢で、かつ何度も同じ事を繰返すのだから、解りにくいこと夥《おびただ》しい。しかし、辛抱強く聞分けてその意味を拾い、それを普通の言葉に直して見ると、その時M氏の洩らした感懐は、大体次のようなものであった。
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――人生というものは、螺旋《らせん》階段を登って行くようなものだ。一つの風景の展望があり、また一廻《ひとまわ》り上って行けば再び同じ風景の展望にぶっつかる。最初の風景と二番目のそれとはほとんど同じだが、しかし微《かす》かながら、第二のそれの方がやや遠くまで見えるのである。第二の展望にまで達している人間にはその僅かの違いが解るのだが、まだ第一の場所にいる人間にはそれが解らない。第二の場所にいる人間も、自分と全く同じ眺望しかもち得ないと思っているのだ。事実、話す言葉だけを聞いていれば、二人の間にほとんど差異は無いのだから。――
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螺旋階段という代りに、グルグル廻ッテ登ッテ行クノガアリマスナ、ソラ、アノ、高イ塔ナンカニ上ル時ノダンダンニアリマスナ、グルグル廻ッテ昇ッテ行キナガラ、ズットアタリノ景色ガ見ラレルヨウナ、テスリ[#「テスリ」に傍点]ガ付イタリナンカシテイル、ダンダンガアリマスナ、という表現を幾回も繰返して聞かせる位で、以下これに準じて恐ろしくまわりくどく[#「まわりくどく」に傍点]、右の意味のことを言うだけで約三十分もかかるのだが、鉱石の中から乏しい金属を抽出するように、それをよく聞分けて見れば、確かに右のような意味になるのである。何だかモンテエニュでもいいそうなことのように思われ、三造はまた前とは違った意味でM氏の顔を見返した位だが、M氏は読書家ではないから決して書物などからこんな考えを仕入れて来たのではない。五十年の生涯の遅鈍な観察から生れた・彼自身の感想に違いない。こうした言葉を吐きそうな智慧の痕跡のおよそ窺《うかが》われないM氏の顔を見ながら、三造は次のように考え始めた。
誰もがこの男を馬鹿にしているけれども、我々が、もしこの男ののろま[#「のろま」に傍点]な表現を理解してやるだけの忍耐を有《も》つ
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