ただ茫然としている。身体も心も心棒《しんぼう》が抜けてしまったような工合である。日々の生活の無内容さ[#「無内容さ」に丸傍点]が彼の中に洞穴をあけてしまったのか。それは先刻記憶から喚起した・あの底無しの不安とは全然違う。腑抜けとなり、不安も苦痛も感じなくなったような麻痺状態である。
 ぼやけた彼の意識の隅に、しかし、明日出勤する学校の少女たちの雰囲気が、それだけが彼の仮死的な生活の中で、唯一の生きたものであるかのように、明るく浮上って来た。一人一人に見れば、醜くもあり卑しくもあり愚かでもある少女たちが自分の生活の中で触れ得る唯一の生きた存在なのか? 豊かであるようにと予定したはずの日々が何と乏しく虚《むな》しいことか。人間は竟《つい》に、執着し・狂い・求める対象がなくては生きて行けないのだろうか。やっぱり、自分も、世間が――喝采し、憎悪し、嫉視し、阿諛《あゆ》する世間が、欲しいのだろうか。例えば、と彼は考えない訳に行かない。例えば、先週勤め先の学校で国漢の老教師が近作だという七言絶句を職員室の誰彼に朗読して聞かせていた時、父祖伝来の儒家に育った自分が冗談半分その韻をふんで咄嗟《とっさ》に酬いて見せた。その巧拙よりも、方面違いの若い博物の教師がそんな事をして見せたものだから、老先生はすっかり驚いて、人の良さそうな大袈裟な身振で讃め上げてくれたのだが、全く、その時、自分は――尊大なるべき俺の自尊心は――何と卑小な喜びにくすぐられたことだろう! 実際、その老教師が讃めた言葉の一句一句をさえハッキリ記憶しているほど、喜ばされたのではなかったか。ワイニンゲルによれば、女は、一生の間に自分に向って言われた讃辞《ほめことば》をことごとく覚えているものだそうだが、どうやらこれは女ばかりに限らないようだ。そういえば、俺はここ何年何箇月かの間、自分に向って発せられた一つの讃辞をも聞かなかった。自分の飢えていたのは、こんな詰まらないもの[#「もの」に傍点]に対してだったのか。それでは、それほどちっぽけ[#「ちっぽけ」に傍点]な虚栄心を充たしたがっているお前が、何故、こんな世間とかけ離れた生活を選んだのだ。オデュッセイアと、ルクレティウスと、毛詩|鄭箋《ていせん》と、それさえ消化《こな》しかねるほどの・文字通りの「スモオル・ラティン・アンド・レス・グリイク」と、それだけで生活は足りると思っ
前へ 次へ
全27ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング