た。地を掘って坎《あな》をつくり※[#「火+慍のつくり」、第3水準1−87−59]火《うんか》を入れて、その上に傷者を寝かせその背中を蹈《ふ》んで血を出させたと漢書《かんじょ》には誌《しる》されている。この荒療治のおかげで、不幸にも蘇武は半日|昏絶《こんぜつ》したのちにまた息を吹返した。且※[#「革+是」、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于はすっかり彼に惚《ほ》れ込んだ。数旬ののちようやく蘇武の身体が恢復《かいふく》すると、例の近臣|衛律《えいりつ》をやってまた熱心に降をすすめさせた。衛律は蘇武が鉄火の罵詈《ばり》に遭《あ》い、すっかり恥をかいて手を引いた。その後蘇武が窖《あなぐら》の中に幽閉《ゆうへい》されたとき旃毛《せんもう》を雪に和して喰《くら》いもって飢えを凌《しの》いだ話や、ついに北海《ほっかい》(バイカル湖)のほとり人なき所に徙《うつ》されて牡羊《おひつじ》が乳を出さば帰るを許さんと言われた話は、持節《じせつ》十九年の彼の名とともに、あまりにも有名だから、ここには述べない。とにかく、李陵《りりょう》が悶々《もんもん》の余生を胡地《こち》に埋めようとようやく決心せざ
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