男の児は、少しも父親を恐れないで、ヨチヨチと李陵の膝《ひざ》に匍上《はいあ》がって来る。その児の顔に見入りながら、数年前|長安《ちょうあん》に残してきた――そして結局母や祖母とともに殺されてしまった――子供の俤《おもかげ》をふと思いうかべて李陵は我しらず憮然《ぶぜん》とするのであった。
陵が匈奴《きょうど》に降《くだ》るよりも早く、ちょうどその一年前から、漢の中郎将《ちゅうろうしょう》蘇武《そぶ》が胡地《こち》に引留められていた。
元来蘇武は平和の使節として捕虜《ほりょ》交換のために遣《つか》わされたのである。ところが、その副使某がたまたま匈奴の内紛《ないふん》に関係したために、使節団全員が囚《とら》えられることになってしまった。単于《ぜんう》は彼らを殺そうとはしないで、死をもって脅《おびや》かしてこれを降《くだ》らしめた。ただ蘇武一人は降服を肯《がえ》んじないばかりか、辱《はずか》しめを避けようと自《みずか》ら剣を取って己《おの》が胸を貫いた。昏倒《こんとう》した蘇武に対する胡※[#「醫」の「酉」に代えて「巫」、第4水準2−78−8]《こい》の手当てというのがすこぶる変わってい
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