うし》のみ、なんぞまた漢と胡《こ》とあらんやとふとそんな気のすることもある。一しきり休むとまた馬に跨《また》がり、がむしゃらに駈《か》け出す。終日乗り疲れ黄雲《こううん》が落暉《らっき》に※[#「日+熏」、第3水準1−85−42]《くん》ずるころになってようやく彼は幕営《ばくえい》に戻る。疲労だけが彼のただ一つの救いなのである。
司馬遷《しばせん》が陵《りょう》のために弁じて罪をえたことを伝える者があった。李陵は別にありがたいとも気の毒だとも思わなかった。司馬遷とは互いに顔は知っているし挨拶《あいさつ》をしたことはあっても、特に交を結んだというほどの間柄ではなかった。むしろ、厭《いや》に議論ばかりしてうるさいやつだくらいにしか感じていなかったのである。それに現在の李陵は、他人の不幸を実感するには、あまりに自分一個の苦しみと闘《たたか》うのに懸命であった。よけいな世話とまでは感じなかったにしても、特に済まないと感じることがなかったのは事実である。
初め一概に野卑《やひ》滑稽《こっけい》としか映《うつ》らなかった胡地《こち》の風俗が、しかし、その地の実際の風土・気候等を背景として考え
前へ
次へ
全89ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング