》める。これで、「作ル」ことになる心配はないわけである。しかし、(と司馬遷が思うに)これでは項羽《こうう》が項羽でなくなるではないか。項羽も始皇帝《しこうてい》も楚《そ》の荘王《そうおう》もみな同じ人間になってしまう。違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ? 「述べる」とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼は削った字句をふたたび生かさないわけにはいかない。元どおりに直して、さて一読してみて、彼はやっと落ちつく。いや、彼ばかりではない。そこにかかれた史上の人物が、項羽や樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]《はんかい》や范増《はんぞう》が、みんなようやく安心してそれぞれの場所に落ちつくように思われる。
調子のよいときの武帝《ぶてい》は誠《まこと》に高邁闊達《こうまいかったつ》な・理解ある文教の保護者だったし、太史令《たいしれい》という職が地味な特殊な技能を要するものだったために、官界につきものの朋党比周《ほうとうひしゅう》の擠陥讒誣《せいかんざんぶ》による地位(あるいは生命)の不安定からも免れることができた。
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