るのはもとより、死傷者も一日ずつ確実に殖《ふ》えていくのである。飢え疲れた旅人の後をつける曠野《こうや》の狼のように、匈奴の兵はこの戦法を続けつつ執念深く追って来る。少しずつ傷つけていった揚句《あげく》、いつかは最後の止《とど》めを刺そうとその機会を窺《うかが》っているのである。
かつ戦い、かつ退きつつ南行することさらに数日、ある山谷の中で漢軍は一日の休養をとった。負傷者もすでにかなりの数に上っている。李陵《りりょう》は全員を点呼して、被害状況を調べたのち、傷の一か所にすぎぬ者には平生どおり兵器を執《と》って闘わしめ、両創を蒙《こうむ》る者にもなお兵車を助け推《お》さしめ、三創にしてはじめて輦《れん》に乗せて扶《たす》け運ぶことに決めた。輸送力の欠乏から屍体《したい》はすべて曠野《こうや》に遺棄するほかはなかったのである。この夜、陣中視察のとき、李陵はたまたまある輜重車《しちょうしゃ》中に男の服を纏《まと》うた女を発見した。全軍の車輛《しゃりょう》について一々調べたところ、同様にしてひそんでいた十数人の女が捜し出された。往年関東の群盗が一時に戮《りく》に遇《あ》ったとき、その妻子等が
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