は、今まで漢に対する軍略にだけは絶対に与《あずか》らなかった彼が、自《みずか》ら進んでその相談に乗ろうと言出したからである。単于はこの変化を見て大いに喜んだ。彼は陵を右校王《うこうおう》に任じ、己《おの》が娘の一人をめあわせた。娘を妻にという話は以前にもあったのだが、今まで断わりつづけてきた。それを今度は躊躇《ちゅうちょ》なく妻としたのである。ちょうど酒泉《しゅせん》張掖《ちょうえき》の辺を寇掠《こうりゃく》すべく南に出て行く一軍があり、陵は自ら請うてその軍に従った。しかし、西南へと取った進路がたまたま浚稽山《しゅんけいざん》の麓《ふもと》を過《よぎ》ったとき、さすがに陵の心は曇った。かつてこの地で己《おのれ》に従って死戦した部下どものことを考え、彼らの骨が埋められ彼らの血の染《し》み込んだその砂の上を歩きながら、今の己が身の上を思うと、彼はもはや南行して漢兵と闘う勇気を失った。病と称して彼は独り北方へ馬を返した。

 翌、太始《たいし》元年、且※[#「革+是」、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于《ぜんう》が死んで、陵と親しかった左賢王《さけんおう》が後を嗣《つ》いだ。狐鹿姑《ころくこ》単于というのがこれである。
 匈奴《きょうど》の右校王《うこうおう》たる李陵《りりょう》の心はいまだにハッキリしない。母妻子を族滅《ぞくめつ》された怨《うら》みは骨髄《こつずい》に徹しているものの、自《みずか》ら兵を率いて漢と戦うことができないのは、先ごろの経験で明らかである。ふたたび漢の地を踏むまいとは誓ったが、この匈奴の俗に化して終生安んじていられるかどうかは、新単于への友情をもってしても、まださすがに自信がない。考えることの嫌《きら》いな彼は、イライラしてくると、いつも独り駿馬《しゅんめ》を駆って曠野《こうや》に飛び出す。秋天一碧《しゅうてんいっぺき》の下、※[#「口+戛」、第3水準1−15−17]々《かつかつ》と蹄《ひづめ》の音を響かせて草原となく丘陵となく狂気のように馬を駆けさせる。何十里かぶっとばした後、馬も人もようやく疲れてくると、高原の中の小川を求めてその滸《ほとり》に下り、馬に飲《みず》かう。それから己《おのれ》は草の上に仰向《あおむ》けにねころんで快い疲労感にウットリと見上げる碧落《へきらく》の潔《きよ》さ、高さ、広さ。ああ我もと天地間の一粒子《いちりゅ
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