変わらない。他に利用する目的はなく、ただ士を遇するために士を遇しているのだとしか思われない。とにかくこの単于は男[#「男」に傍点]だと李陵は感じた。
 単于の長子・左賢王《さけんおう》が妙に李陵に好意を示しはじめた。好意というより尊敬といったほうが近い。二十歳を越したばかりの・粗野《そや》ではあるが勇気のある真面目《まじめ》な青年である。強き者への讃美《さんび》が、実に純粋で強烈なのだ。初め李陵のところへ来て騎射《きしゃ》を教えてくれという。騎射といっても騎のほうは陵に劣らぬほど巧《うま》い。ことに、裸馬《らば》を駆る技術に至っては遙《はる》かに陵を凌《しの》いでいるので、李陵はただ射《しゃ》だけを教えることにした。左賢王《さけんおう》は、熱心な弟子となった。陵の祖父|李広《りこう》の射における入神《にゅうしん》の技などを語るとき、蕃族《ばんぞく》の青年は眸《ひとみ》をかがやかせて熱心に聞入るのである。よく二人して狩猟に出かけた。ほんの僅《わず》かの供廻《ともまわ》りを連れただけで二人は縦横に曠野《こうや》を疾駆《しっく》しては狐《きつね》や狼《おおかみ》や羚羊《かもしか》や※[#「周+鳥」、第3水準1−94−62]《おおとり》や雉子《きじ》などを射た。あるときなど夕暮れ近くなって矢も尽きかけた二人が――二人の馬は供の者を遙《はる》かに駈抜《かけぬ》いていたので――一群の狼に囲まれたことがある。馬に鞭《むち》うち全速力で狼群の中を駈け抜けて逃れたが、そのとき、李陵の馬の尻《しり》に飛びかかった一匹を、後ろに駈けていた青年左賢王が彎刀《わんとう》をもって見事《みごと》に胴斬《どうぎ》りにした。あとで調べると二人の馬は狼どもに噛《か》み裂かれて血だらけになっていた。そういう一日ののち、夜、天幕《てんまく》の中で今日の獲物を羹《あつもの》の中にぶちこんでフウフウ吹きながら啜《すす》るとき、李陵は火影《ほかげ》に顔を火照《ほて》らせた若い蕃王《ばんおう》の息子に、ふと友情のようなものをさえ感じることがあった。

 天漢三年の秋に匈奴《きょうど》がまたもや雁門《がんもん》を犯した。これに酬《むく》いるとて、翌四年、漢は弐師《じし》将軍|李広利《りこうり》に騎六万歩七万の大軍を授《さず》けて朔方《さくほう》を出でしめ、歩卒一万を率いた強弩都尉《きょうどとい》路博徳《ろはくとく》
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