従っておいてそのうちに機を見て脱走する――敗軍の責を償《つぐな》うに足る手柄を土産《みやげ》として――か、この二つのほかに途《みち》はないのだが、李陵は、後者を選ぶことに心を決めたのである。
 単于《ぜんう》は手ずから李陵の縄《なわ》を解いた。その後の待遇も鄭重《ていちょう》を極めた。且※[#「革+是」、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于とて先代の※[#「口+句」、第3水準1−14−90]犁湖《くりこ》単于の弟だが、骨骼《こっかく》の逞《たくま》しい巨眼《きょがん》赭髯《しゃぜん》の中年の偉丈夫《いじょうふ》である。数代の単于に従って漢《かん》と戦ってはきたが、まだ李陵ほどの手強《てごわ》い敵に遭《あ》ったことはないと正直に語り、陵の祖父|李広《りこう》の名を引合いに出して陵の善戦を讃《ほ》めた。虎《とら》を格殺《かくさつ》したり岩に矢を立てたりした飛将軍《ひしょうぐん》李広の驍名《ぎょうめい》は今もなお胡地《こち》にまで語り伝えられている。陵が厚遇を受けるのは、彼が強き者の子孫でありまた彼自身も強かったからである。食を頒《わ》けるときも強壮者が美味をとり老弱者に余り物を与えるのが匈奴《きょうど》のふうであった。ここでは、強き者が辱《はずか》しめられることはけっしてない。降将李陵は一つの穹盧《きゅうろ》と数十人の侍者《じしゃ》とを与えられ賓客《ひんきゃく》の礼をもって遇《ぐう》せられた。
 李陵にとって奇異な生活が始まった。家は絨帳《じゅうちょう》穹盧《きゅうろ》、食物は羶肉《せんにく》、飲物は酪漿《らくしょう》と獣乳と乳醋酒《にゅうさくしゅ》。着物は狼《おおかみ》や羊や熊《くま》の皮を綴《つづ》り合わせた旃裘《せんきゅう》。牧畜と狩猟と寇掠《こうりゃく》と、このほかに彼らの生活はない。一望際涯《いちぼうさいがい》のない高原にも、しかし、河や湖や山々による境界があって、単于《ぜんう》直轄地《ちょっかつち》のほかは左賢王《さけんおう》右賢王|左谷蠡王《さろくりおう》右谷蠡王以下の諸王侯の領地に分けられており、牧民の移住はおのおのその境界の中に限られているのである。城郭もなければ田畑もない国。村落はあっても、それが季節に従い水草を逐《お》って土地を変える。
 李陵には土地は与えられない。単于|麾下《きか》の諸将とともにいつも単于に従っていた。隙《すき》があった
前へ 次へ
全45ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング