を詰《なじ》ったところ、これに答えていう。前主の是《ぜ》とするところこれが律《りつ》となり、後主の是とするところこれが令《りょう》となる。当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相《じょうしょう》公孫賀《こうそんが》、御史大夫《ぎょしたいふ》杜周《としゅう》、太常《たいじょう》、趙弟《ちょうてい》以下、誰一人として、帝の震怒《しんど》を犯してまで陵のために弁じようとする者はない。口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵《ののし》る。陵のごとき変節漢《へんせつかん》と肩を比べて朝《ちょう》に仕えていたことを思うといまさらながら愧《は》ずかしいと言出した。平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。陵の従弟《いとこ》に当たる李敢《りかん》が太子の寵《ちょう》を頼んで驕恣《きょうし》であることまでが、陵への誹謗《ひぼう》の種子になった。口を緘《かん》して意見を洩《も》らさぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有《も》つものだったが、それも数えるほどしかいない。
ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。今口を極めて李陵を讒誣《ざんぶ》しているのは、数か月前李陵が都を辞するときに盃《さかずき》をあげて、その行を壮《さか》んにした連中ではなかったか。漠北《ばくほく》からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将|李広《りこう》の孫と李陵の孤軍奮闘を讃《たた》えたのもまた同じ連中ではないのか。恬《てん》として既往を忘れたふりのできる顕官《けんかん》連や、彼らの諂諛《てんゆ》を見破るほどに聡明《そうめい》ではありながらなお真実に耳を傾けることを嫌《きら》う君主が、この男には不思議に思われた。いや、不思議ではない。人間がそういうものとは昔からいやになるほど知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。下大夫《かたいふ》の一人として朝《ちょう》につらなっていたために彼もまた下問を受けた。そのとき、この男はハッキリと李陵を褒《ほ》め上げた。言う。陵の平生を見るに、親に事《つか》えて孝、士と交わって信、常に奮って身を顧みずもって国家の急に殉ずるは誠《まこと》に国士のふうありというべく、今不幸にして事一|度《たび》破れたが、身を全うし妻子を保《やす》んずることをのみただ念願とする君側の佞人《ねい
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