そうして、石碣《せきけつ》の矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。弦に応じて、一箭《いっせん》たちまち五|羽《わ》の大鳥が鮮《あざ》やかに碧空《へきくう》を切って落ちて来た。
 一通り出来るようじゃな、と老人が穏《おだや》かな微笑を含《ふく》んで言う。だが、それは所詮《しょせん》射之射《しゃのしゃ》というもの、好漢いまだ不射之射《ふしゃのしゃ》を知らぬと見える。
 ムッとした紀昌を導いて、老隠者《ろういんじゃ》は、そこから二百歩ばかり離《はな》れた絶壁《ぜっぺき》の上まで連れて来る。脚下《きゃっか》は文字通りの屏風《びょうぶ》のごとき壁立千仭《へきりつせんじん》、遥か真下に糸のような細さに見える渓流《けいりゅう》をちょっと覗いただけでたちまち眩暈《めまい》を感ずるほどの高さである。その断崖《だんがい》から半《なか》ば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、振返《ふりかえ》って紀昌に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更|引込《ひっこみ》もならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履《ふ》んだ時、石は微《かす》かにグラリと
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