応ずる。二人|互《たが》いに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵《けいじん》をも揚《あ》げなかったのは、両人の技がいずれも神《しん》に入っていたからであろう。さて、飛衛の矢が尽《つ》きた時、紀昌の方はなお一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衛はとっさに、傍なる野茨《のいばら》の枝《えだ》を折り取り、その棘《とげ》の先端《せんたん》をもってハッシと鏃を叩《たた》き落した。ついに非望の遂《と》げられないことを悟《さと》った紀昌の心に、成功したならば決して生じなかったに違《ちが》いない道義的|慚愧《ざんき》の念が、この時|忽焉《こつえん》として湧起《わきおこ》った。飛衛の方では、また、危機を脱《だっ》し得た安堵《あんど》と己が伎倆《ぎりょう》についての満足とが、敵に対する憎《にく》しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄《かけよ》ると、野原の真中《まんなか》に相抱《あいいだ》いて、しばし美しい師弟愛の涙《なみだ》にかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉《せい》の桓公《かんこう》が己のいまだ味わったことのない珍味《ちんみ》を求めた時、厨宰《ちゅうさい》の易牙《えきが》は己が息子《むすこ》を蒸焼《むしやき》にしてこれをすすめた。十六|歳《さい》の少年、秦《しん》の始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾《あいしょう》を三度|襲《おそ》うた。すべてそのような時代の話である。)
 涙にくれて相擁《あいよう》しながらも、再び弟子《でし》がかかる企《たくら》みを抱くようなことがあっては甚《はなは》だ危いと思った飛衛は、紀昌に新たな目標を与《あた》えてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《なんじ》がもしこれ以上この道の蘊奥《うんのう》を極めたいと望むならば、ゆいて西の方《かた》大行《たいこう》の嶮《けん》に攀《よ》じ、霍山《かくざん》の頂を極めよ。そこには甘蠅《かんよう》老師とて古今《ここん》を曠《むな》しゅうする斯道《しどう》の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯《じぎ》に類する。※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]の師と
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