った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話《ぐうわ》作者としてはここで老名人に掉尾《ちょうび》の大活躍《だいかつやく》をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶《みおぼ》えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途《ようと》も思い当らない。老人はその家の主人に尋《たず》ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談《じょうだん》を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけ[#「とぼけ」に傍点]た笑い方をした。老紀昌は真剣《しんけん》になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧《あいまい》な笑を浮《うか》べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目《まじめ》な顔をして同じ問を繰返《くりかえ》した時、始めて主人の顔に驚愕《きょうがく》の色が現れた。彼は客の眼を凝乎《じっ》と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖《きょうふ》に近い狼狽《ろうばい》を示して、吃《ども》りながら叫んだ。
「ああ、夫子《ふうし》が、――古今無双《ここんむそう》の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途《みち》も!」
 その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠《かく》し、楽人は瑟《しつ》の絃《げん》を断ち、工匠《こうしょう》は規矩《きく》を手にするのを恥《は》じたということである。[#地から1字上げ](昭和十七年十二月)



底本:「ちくま日本文学全集 中島敦」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年7月20日第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
   1987(昭和62)年9月
初出:「文庫」
   1942(昭和17)年12月号
入力:大内章
校正:j.utiya
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