丈の高い紅と白とのスウィートピイが美しく簇《むらが》り咲いていた。花の前に立って、三造は、しばらく涙の涸《かわ》くのを待った。
六
伯父の遺稿集の巻末につけた、お髯《ひげ》の伯父の跋《ばつ》によれば、死んだ伯父は「狷介《けんかい》ニシテ善《よ》ク罵リ、人ヲ仮《ゆる》ス能《あた》ハズ。人マタ因《よ》ツテ之ヲ仮スコトナシ。大抵視テ以テ狂トナス。遂ニ自ラ号シテ斗南狂夫トイフ。」とある。従って、その遺稿集は、『斗南存稾《となんそんこう》』と題されている。この『斗南存稾』を前にしながら、三造は、これを図書館へ持って行ったものか、どうかと頻りに躊躇している。(お髯の伯父から、これを帝大と一高の図書館へ納めるように、いいつけられているのである。)図書館へ持って行って寄贈を申し出る時、著者と自分との関係を聞かれることはないだろうか? その時「私の伯父の書いたものです」と、昂然と答えられるだろうか? 書物の内容の価値とか、著者の有名無名とかいうことでなしに、ただ、「自分の伯父の書いたものを、得々として自分が持って行く」という事の中に、何か、おしつけがましい、図々しさがあるような気がし
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