の注意を惹いたものであろうか。

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悪詩悪筆 自欺欺人 億千万劫 不免蛇身
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 口の中で、しばらくこれを繰返しながら、三造は自然に不快な寒けを感じてきた。何故か知らぬが、詩の全体の意味からはまるで遊離した「不免蛇身」という言葉だけが、三造を妙におびやかしたのである。彼自身も、この伯父のように、一生何ら為すなく、自嘲の中に終らねばならぬかも知れぬというような予感からではなかった。それはもっと会体のしれない、気味の悪い不快さであった。眼をつぶったまま揺られつづけている伯父を、暗い車燈の下に眺めながら、彼は「この世界で冗談にいったことも別の世界では決して冗談ではなくなるのだ」という気がした。(そのくせ、彼はふだん決して他の世界の存在など信じてはいないのだが)すると、伯父の詩の蛇身[#「蛇身」に傍点]という言葉が、蛇身[#「蛇身」に傍点]という文字がそのまま生きてきて、グニャグニャと身をくねらせて車室の空気の中を匍《は》いまわっているような気持さえしてくるのであった。

 翌朝、大阪駅から乗ったタクシイの中で――従姉の家は八尾にあった――三造はそ
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