影像がはげしく廻転した。やられた! と思って、動かすと目の中が切れるかもしれないとは考えながら、でも、ちょっと試す気で細目に瞼《まぶた》をあけようとすると、血がべったりと塞《ふさ》いでいて、少し動くとぽたり[#「ぽたり」に傍点]と地面に垂れた。それから二人の友人にかかえられてすぐに大学病院へ行った。硝子で眼のまわりが切れただけで、幸いに眼の中には破片ははいっていなかったので、傷痕を縫ってもらったあと二週間も通えばよかった。しかし、そんな際だったので、ちょうどそれを良い口実にして、「怪我をしていて残念ながら行けない」旨を返事したのであった。彼は伯父を前にすると、自分の老いた時の姿を目の前にみせつけられるような気がして、伯父の仕草の一つ一つに嫌悪を感ずるばかりでなく、時々破裂する伯父の疳癪《かんしゃく》(その故に伯父はやかま[#「やかま」に傍点]の伯父と、甥や姪たちから呼ばれていた。)にも、慣れているとはいえ、多少恐れをなしていた。その上その将棋というのが、彼よりも一枚半も強いくせに、弱いものを相手にしていじめるのを楽しむといった風で、いつまでたっても止めようとはいい出さないのであるから、これにもいささか辟易《へきえき》せざるを得なかったのである。彼のその返事に折り返して来た伯父の葉書には、災難はいつ降ってくるか分らず、人は常にそれに対して、何時《いつ》遭遇しても動ぜぬだけの心構えを養って置くことが必要である、といった意味のことが認《したた》められていた。そしてそれきりで彼は一月あまり伯父のことを忘れていた。ところが三月の中頃近くなって、またひょっこり、乱暴に美しく[#「乱暴に美しく」に傍点]書きなぐった伯父の葉書が舞いこんできた。近い中《うち》にお前の所へ行きたいが、都合は良いか、というのである。大学の入学試験が四、五日中にすむので、その後の方が都合がよいのですが、と彼は返事を書いた。ところが、それから三日ほどして、入学試験の中《なか》の日に、その日の試験をすまして、下宿で机に向っていると、襖《ふすま》をあける女中の声と共に、後から、古風な大きいバスケットを提げた伯父がはいって来た。これから山へ行くのだと伯父はいきなりいった。彼には一向話が分らなかった。恐らく、伯父はすでに事の次第を前もって彼に向けて手紙で知らせてあるという風に勘違いしていたに違いない。よく聞くと相州
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