鯛の刺身を一人で三人前も喰べたのはいいが、そのおかげで昨夕は何度も嘔吐や腸出血らしいのがあったのだとも言った。何しろ医者を寄付けようとしないので従姉も困っているらしかった。二階へ上って行くと、果して、伯父は大きな枕の中から顔を此方へ向け、黙ってじろりと彼を睨んだ。それから突然、掃除をしろと言い出した。彼が、座敷の隅にかかっていた座敷箒《ざしきぼうき》を取ろうとすると、まず、自分の寝ている床《とこ》の上から掃かなけりゃいけないと言う。小さな棕櫚《しゅろ》の手箒で蒲団《ふとん》の上を、それから座敷箒で、その部屋と隣の部屋まで、とうとう三造はすっかり二階中掃除させられてしまった。それが終ると、大分伯父も気が済んだようであったが、それでも、まだ「お前は病人を送るために来たのだか、自分の遊びのために来たのだか分らない」などと言った。その晩、三造は早々《そうそう》に東京へ帰った。
三
二週間ほどして、伯父は八尾の姪の夫に送られて東京へ帰って来た。何のために大阪へ行ったのか、訳が分らない位であった。恐らく伯父も既に死を覚《さと》ったのであろう。そうして同じ死ぬならば、やはり自分の生れた東京で死にたかったのであろう。三造が電話でしらせ[#「しらせ」に傍点]を受取ってすぐに高樹町の赤十字病院に行った時、伯父はひどく彼を待兼ねていた様子であった。一生|竟《つい》に家庭を持たなかった伯父は、数ある姪や甥たちの中でも特に三造を愛していたように見えた。殊に、彼の学校の成績の比較的良い点に信頼していたようであった。三造がまだ中学の二年生だった時分、同じく二年生だった彼の従兄の圭吉と二人で、伯父の前で、将来自分たちの進む学校について話し合ったことがあった。その時、二人とも中学の四年から高等学校へ進む予定で、そのことを話していると、それを聞いていた伯父が横から、「三造は四年からはいれるだろうが、圭吉なんか、とても駄目さ」と言った。三造は、子供心にも、思い遣りのない伯父の軽率を、許しがたいものに思い、まるで自分が圭吉を辱しめでもしたかのような「すまなさ[#「すまなさ」に傍点]」と「恥ずかしさ」とを感じ、しばしは、顔を上げられない位であった。それから二年余りも経って、駄目だと言われた圭吉も、三造と共に四年から高等学校にはいった時、三造は、まだ、かつての伯父の無礼を執念深く覚えていて
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