を不安にした。荷物はすっかりととのえられていた。立つ際になって、封筒に入れて置いた紙幣が一枚、その封筒ごと失《な》くなったといい出した。伯父のなくしものはいつものことである。その時もすぐに、その封筒が部屋のすみの新聞紙の下から出て来た。が、それは半分破れて取れていて、中には、これもやはり破れた十円紙幣が半分だけはいっていた。伯父が反故《ほご》とまちがえて自分で破って捨てたものであることは明らかであった。他の半分は、だが、探しても探しても出て来なかった。伯父は捜索を断念しようとしたけれども、それを聞いて一緒に探しはじめたその神主の家人たちが承知しなかった。探し出して、くっつければ、結構使えるのだからと、そのお内儀《かみ》さんはそう言って、家の裏のごみ[#「ごみ」に傍点]捨場や、その側の竹藪まで、子供たちを探しにやった。「見つかるもんか。馬鹿な。」と伯父は、露骨に不快な顔をして、まるで他人事《ひとごと》のように、彼らの騒ぎ方を罵るのであった。自分自身の失策に対する腹立たしさと、更に、その失策を誇張するかのような仰々しい彼らの騒ぎぶりと、また、自分の金銭に対する恬淡《てんたん》さを彼らが全然理解していないことに対する憤懣《ふんまん》とで、すっかり機嫌を悪くしたまま、伯父はその家を出た。麓《ふもと》までは、三造にも初めての山駕籠《やまかご》であった。あまり強そうにも見えない三十前後の男が前後に一人ずつ、杖をもって時々肩を換えながら、石段路を歩きにくそうに下って行った。三造はそのあとについて歩いた。下り切ってしまうと今度は人力車に乗った。松田の駅に着いた時はもう夕方になっていた。

 松田駅の待合室で次の下りを待合せている間、伯父は色々解らないことを言出《いいだ》して三造を弱らせた。その時伯父は珍しく旅行案内を持っていて、(宿の神主が気を利かせて荷物の中に入れておいたものであろう)それで時間を繰りながら、「今、立てば大阪は明日の十時になる」といった。ところが三造が見ると、どうしても七時になっている。そういうと伯父はひどく腹を立てて、よく見ろといった。いくら見ても同じであった。伯父が線を間違えて見ていたのである。三造も少し不愉快になってきたので、赤鉛筆でハッキリ線をひいて伯父の見間違いを説明した。すると伯父は返事をしないで、子供のようにむっ[#「むっ」に傍点]としたまま横を向い
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