? そうだ。一人の老人、土民の老爺の話をする積りだったのだ。その前置のつもりで、つい斯んな事をしゃべって了ったのであった。
其《そ》の老人はパラオのコロールに住んでいた。ひどく老衰しているように見えたが、実際は六十歳前だったかも知れぬ。南洋の老人の年齢はてんで[#「てんで」に傍点]見当がつかない。当人自らが年齢《とし》を知らぬということにもよるが、それよりも、温帯人に比べて中年から老年にかけて急に烈しく老い込んで了うからである。
マルクープと呼ばれた其の老人は幾分|傴僂《せむし》らしく、何時も前屈みになって乾いた咳《せき》をしながら歩いていた。可笑《おか》しかったのは彼の眼瞼が著しくたるんで下垂していることで、そのために彼は殆ど目をあけていることが出来ない。彼が他人の顔を良く見ようとする時は、顔を心持仰向けた上、人差指と親指とでたるんだ瞼《まぶた》をつまみ上げ、目の前を塞ぐ壁を取除かねばならぬ。それが、何かカーテンかブラインドでも捲上げるような工合《ぐあい》で、私は何時も失笑させられたものである。老人は何故笑われるのか判らないらしく、それでも此方の笑に調子を合わせてニヤニヤ笑い出すのであった。この様な哀れな状《さま》をした愚鈍そうな老爺がとんでもない喰わせものであろうとは、南洋へ来てまだ間も無い私にとって頗《すこぶ》る意外であった。
其の頃、私はパラオ民俗を知る為の一助にもと、民間俗信の神像や神祠などの模型を蒐集していた。それ故、知合いの島民の一人からマルクープ老人が比較的|故実《こじつ》にも通じ手先も器用であると聞伝えた私は、彼を使って見ようという気になったのである。最初私の前に連れて来られた老人は、瞼を時々つまみ上げて私の方を見ては私の質問に答えた。コロールばかりでなく、パラオ本島各地の信仰に就いても、一通り知っているものの様に思われた。其の日私は彼に悪魔除けのメレックと称する髯面《ひげづら》男の像を作って来るようにいいつけた。二三日して老人の持って来たものを見ると、仲々巧く出来ている。礼として五十銭紙幣を一枚渡すと、老人は又瞼をつまみ上げて紙幣を見、それから私の顔を見て、ニヤリとしながら軽く頭を下げた。
以後、私は度々魔除や祭祀用器具の類を彼に作らせた。小神祠《ウロガン》や舟型霊代《カエップ》や大蝙蝠《オリック》や猥褻《わいせつ》なディルンガイ像など
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