するに智をもってするのは、別に私《わたくし》の利のためではない。急いで死ぬるばかりが能ではないのだ。」
そう言われれば一応はそんな気がして来るが、やはり釈然としない所がある。身を殺して仁を成すべきことを言いながら、その一方、どこかしら明哲《めいてつ》保身を最上智と考える傾向が、時々師の言説の中に感じられる。それがどうも気になるのだ。他の弟子達がこれを一向に感じないのは、明哲保身主義が彼等に本能として、くっついているからだ。それをすべての根柢《こんてい》とした上での・仁であり義でなければ、彼等には危くて仕方が無いに違いない。
子路が納得し難げな顔色で立去った時、その後姿を見送りながら、孔子が愀然《しゅうぜん》として言った。邦《くに》に道有る時も直きこと矢のごとし。道無き時もまた矢のごとし。あの男も衛の史魚《しぎょ》の類だな。恐らく、尋常《じんじょう》な死に方はしないであろうと。
楚が呉《ご》を伐《う》った時、工尹商陽《こういんしょうよう》という者が呉の師を追うたが、同乗の王子|棄疾《きしつ》に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り、「子、これを射よ。」と勧
前へ
次へ
全63ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング