これを用うれば犀革《さいかく》の厚きをも通すと聞いている。して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?
 孔子にとって、こんな幼稚な譬喩《ひゆ》を打破るほどたやすい事はない。汝の云《い》うその南山の竹に矢の羽をつけ鏃《やじり》を付けてこれを礪《みが》いたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、と孔子に言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉に窮《きゅう》した[#「窮《きゅう》した」は底本では「窮《きゅう》しした」]。顔を赧《あか》らめ、しばらく孔子の前に突立《つった》ったまま何か考えている様子だったが、急に※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]と豚とを抛《ほう》り出し、頭を低《た》れて、「謹《つつ》しんで教を受けん。」と降参した。単に言葉に窮したためではない。実は、室に入って孔子の容《すがた》を見、その最初の一言を聞いた時、直ちに※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]豚《けいとん》の場違《ばちが》いであることを感じ、己《おのれ》と余りにも懸絶《けんぜつ》した相手の大きさに圧倒《あっとう》されていたのである。
 即日《そくじつ》、子路は師弟の礼を執《と》って孔
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