を汚《けが》すのを懼れるのではなく、ただこの淫《みだ》らな雰囲気《ふんいき》の中に師を置いて眺《なが》めるのが堪《たま》らないのである。
 孔子の粘《ねば》り強さもついに諦めねばならなくなった時、子路はほっと[#「ほっと」に傍点]した。そうして、師に従って欣《よろこ》んで魯の国を立退《たちの》いた。
 作曲家でもあり作詞家でもあった孔子は、次第に遠離《とおざか》り行く都城を顧《かえり》みながら、歌う。
 かの美婦の口には君子ももって出走すべし。かの美婦の謁《えつ》には君子ももって死敗すべし。…………
 かくて、爾後《じご》永年に亘《わた》る孔子の遍歴《へんれき》が始まる。

     七

 大きな疑問が一つある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変りはない。それは、誰もが一向に怪《あや》しもうとしない事柄《ことがら》だ。邪《じゃ》が栄えて正が虐《しいた》げられるという・ありきたりの事実についてである。
 この事実にぶつかるごとに、子路は心からの悲憤《ひふん》を発しないではいられない。なぜだ? なぜそうなのだ? 悪は一時栄えても結局
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