とか、生ヲ求メテ以《モッ》テ仁ヲ害スルナク身ヲ殺シテ以テ仁ヲ成スアリ とか、狂者ハ進ンデ取リ狷者《ケンジャ》ハ為《ナ》サザル所アリ とかいうのが、それだ。孔子も初めはこの角《つの》を矯《た》めようとしないではなかったが、後には諦《あきら》めて止《や》めてしまった。とにかく、これはこれで一|匹《ぴき》の見事な牛には違いないのだから。策《むち》を必要とする弟子もあれば、手綱《たづな》を必要とする弟子もある。容易な手綱では抑えられそうもない子路の性格的欠点が、実は同時にかえって大いに用うるに足るものであることを知り、子路には大体の方向の指示さえ与えればよいのだと考えていた。敬ニシテ礼ニ中ラザルヲ野トイヒ、勇ニシテ礼ニ中ラザルヲ逆トイフ とか、信ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽《ヘイ》ヤ賊《ゾク》、直ヲ好ンデ学ヲ好マザレバソノ蔽ヤ絞《カウ》 などというのも、結局は、個人としての子路に対してよりも、いわば塾頭格《じゅくとうかく》としての子路に向っての叱言《こごと》である場合が多かった。子路という特殊な個人に在ってはかえって魅力《みりょく》となり得るものが、他の門生|一般《いっぱん》についてはおおむね
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